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地元の人に愛され続けて50年、北井食堂

じもとのひとにあいされつづけてごじゅうねん、きたいしょくどう 

食べる出雲エリア平成時代

神門通りで50年の歴史を誇るお食事処となる北井食堂。昭和38年創業だそうだが、それは食堂としての創業であって、その前はアイスキャンデー屋で山陰飲料水工場という工場も持っていて清涼飲料のラムネも製造販売していたという。さらに遡るとオモチャ屋、陶磁器の販売店、その前は、なんとコンニャク屋だったこともあると、今の店主である豊一(とよかず)さんが話してくれた。


遷宮に湧く昨今の出雲大社には大勢の人が押し寄せているが、その昔も大変な人気スポットだった。その証拠に、1951年から1961年までの期間は東京と大社間には直通急行列車「出雲」が運行されていた。鉄道で来る参拝者で出雲大社は賑わっており、旧JR大社駅と出雲大社を結ぶ神門通りには旅館もたくさんあった。正月には露店が神門通りの大鳥居から坂を上がった勢溜(せいだまり)までの間にずらりと並び、子どもだった豊一さんは、人混みに押され続けて出雲大社の境内にたどり着くのが楽しかったそうだ、その人混みの中でしゃがむと必ずお金が落ちていたものだとも。神門通りの土産店の中には正月だけで1億円を売り上げたと言われる店では、受け取るお金を次から次とリンゴ箱に入れて、それも次々に溢れるので、そのたびにリンゴ箱のお金を家の奥にある金庫ならぬ風呂釜に運んで移し入れたという話もあるそうだ。同じ頃、北井食堂では長さが70〜80センチ、太さ10センチほどの出雲の名物である大きな野焼きを仕入れて、なんと1日で80万円も売り上げたという、豪勢な時代があったのである。
その頃は、豊一さんの母の英子さんが中心になってお店を切り盛りしており、正月には親戚など15人ぐらいが手伝いに来て、1年分を正月で稼ぐと英子さんが言ったのを今でも覚えていると豊一さん。英子さんはカレーライスが得意で、お店で残ると朝、昼、晩の御飯が全部カレーライスの時もあったが、美味しかったそうだ。また、お父さんの登次郎(とうじろう)さんはもっぱらラーメン担当だった。
そして今の北井食堂は、昭和56年ごろに中華料理の修行から帰った豊一さんが引きついで食堂を経営してきた。今は地元の人にも人気メニューの「ちゃんぽん」も当時は知らない人が多かったという。とろみの付いた餡かけのちゃんぽんはこってりした味わいである。一方、あっさりちゃんぽんは、しょう油味のスープで麺をおおうように載せられた野菜炒めが香ばしい。このあっさりちゃんぽんは馴染みのお客さんが命名したものだそうだ。
出雲そばも揃えており、割り子そばも三色割り子などが人気だそうだが、それよりも良く出るのは、「出雲そば全部のせ」という品で、薄口のしょう油味の出汁にひたる出雲そばの上に、ヤマイモ、玉子、とり肉、大根おろし、ノリ、天かす、かつお節、ネギという8種の薬味が乗った豪華なもので、それぞれの具毎に味わって食べる楽しみがある。
暑い夏の季節になると、ゴマだれの冷やし中華などの季節メニューも工夫されていて、店を手伝う奥さんの裕子さんによると、出雲そばにしようか中華にしようか迷うお客さんもいるとのこと。次に来る時は、豊一さんがお父さんから引き継つぎ看板メニューに加えている、鶏ガラをふんだんに使い出汁にこだわったラーメンを食べてみよう。




のれんがかかる玄関、店前には3台ほど駐車スペースがある

神門通りに面した北井食堂

野菜炒めの乗った、あっさりちゃんぽんとあんかけのちゃんぽん

左があっさりちゃんぽん、右がちゃんぽん

看板メニューのぜんぶのせ

豪華な出雲そば全部のせ

3段の割り子の各段が玉子、やまいも、大根おろしの具という豪華三色

見た目も楽しい三色割り子そば