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石神だらけの神名火山 仏経山

いしがみだらけのぶっきょうさん 

見る知る出雲エリア平成時代

 以前、このいずもるの「神名火山の磐座」において、現在の曽枳能夜(そきのや)神社に祀られている伎比佐加美高日子命(きひさかみたかひこのみこと)が、かつて祀られていた仏経山中腹の磐座「伎比佐の岩」を紹介した。ところが、もう一つ別の伎比佐の岩があるという。


 神名火山である仏経山には、伎比佐と名のある岩が2つあったのである。さっそく向かうことにした。神が籠るといわれる神名火山に今では高速道路のトンネルも貫通している。その仏経山トンネルの東口の近くに仏経山の登山口駐車場がある。この登山口の近くには祇園神社という小さな祠もあり、地元では神南備神社とも呼ばれているそうで、まずはこちらに参拝して登山の無事を祈る。
 この日は、仏経山石神絵図を書かれたペンネーム原如水さんに道案内をしていただいた。原さんは自らの足で山野を巡り、信仰の痕跡のある磐座や岩窟など探索されている。道なき道を行くことが多いそうである。
 登山道を進むと竜岩に到着した。山道から上に見上げる場所にあって、岩に縄が巻かれているのが見える。岩の方へ登ってみると山肌から飛び出した大きな岩で竜の頭のように見えるので名前が付けられたのだろう。
 さらに進むと、少しなだらかな地面となって、原さんがそろそろ頂上ですよ。と声をかけてくれた。すると大きな岩がゴロゴロしている場所に出た。これが磐座とされ、北側にある大きな岩を鏡岩というそうである。それぞれの岩に、先ほど竜岩にもあった、しめ縄を模した太く古びたロープが巻きつけられている。この磐座を「出雲と大和」を著した村井康彦氏は麓にある曽枳能夜神社の元宮としている。この石神を記した古文書はないそうだが、こちらを曽枳能夜神社ではない伎比佐社の元宮と考え、伎比佐の石神ではないかと言う人もある。伎比佐が社でもあり、神名に含まれる文字でもあって、いろいろに受け取れるため、今のところは結論が出ていないということだ。
 こうした山行きの後に、出雲市斐川町にある荒神谷博物館から「神名火山 仏経山 石神さま巡拝」という仏経山の石神、磐座、岩窟など20数カ所を地図付きで紹介するパンフレットが発行された。荒神谷博物館は銅剣356本がまとまって出土した場所にある出雲を代表する遺跡の博物館である。パンフレットを開いたら、そこには見開きで原如水さんの仏経山石神絵図がそのまま載っている。これだけでも宝である。そこにはなんと伎比佐を祀る3つめの岩があった。その岩を宮隠し(まかくし)岩というのだそうだ。またまた仏経山に登ることになる。
 今度は仏経山の南側になる阿宮(あぐ)という地区から仏経山山頂のNTT無線中継所のアンテナの保守などに使われている道を登って、その途中から山道に入ると間もなく、宮隠し岩と女男岩の真新しい案内板があり、左に進むと、ほどなく岩に到着した。時折降る冷たい雨の中を進んできたが、今回は原如水さんの案内で磐座好きの同行者15人ぐらいが一緒なので賑やかだった。曇り空にそそり立つ大岩には時々陽が射して岩一面の苔が明るく光り神々しい。
 この岩はもとは岩神さんといって、伎比佐の社が祀られていた場所とされているので、宮隠しの岩といったのが「まがくし」といわれるようになったそうだ。この大岩の下には岩穴があって、昔は人が入れるほどだったという。この伎比佐の社は、今では登って来た方にある上阿宮地区にある阿吾(あご)神社に合祀されているというから、山頂にあった伎比佐の社が北の曽枳能夜神社と南の阿吾神社にそれぞれ別けて祀られるようになったのかもしれない。
 人間はどれだけ岩が好きなのであろう。ここでは紹介しきれないが、宮隠し岩の後に近くの女男岩に行ったが、こちらは宮隠し岩より大きな岩が幾つもあってその壮観さに圧倒された。 

この嵩山に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

竜岩経由の仏経山登山口 35.366171, 132.836836
宮隠し岩 山道入り口  35.354776, 132.828833
阿吾神社        35.346717, 132.855669




山頂間近で岩がゴロゴロある場所です

中央峰の磐座

見上げるほど大きな岩が2つあり、その下に穴もある

宮隠し岩

仏経山の石神を数多く紹介してあります

荒神谷博物館の石神パンフレット

どっしりした安定感に溢れる山容です

神名火山の仏経山