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稲佐の浜に近い奉納山

いなさのはまにちかいほうのうざん 

見る知る出雲エリア平成時代

出雲大社から人気の稲佐の浜に向かう途中に奉納山という山がある。標高は73mといたって低い山であるが、ここからの眺望は絶景であるから、稲佐浜や日御碕に行くのであれば、ちょっと寄り道してみると良いと思う。出雲大社からやって来て、ゆるい坂を登り切って下り始め稲佐の浜が見えたぞってあたりで、右手にある奉納山入り口から車で3分、歩いて10分もあれば、頂上まで登ることができる。


今回は、歩いて登ってみることにする。奉納山ふもとにはイチョウの大木があって、乳房イチョウと呼ばれており、少し上を見ると幹の近くから垂れ下がった部分がある。これはイチョウが古木になると生じることがあるらしく、学術的には未だ枝とも根とも解明できていない不思議な部分である。全国各地にこうしたイチョウの木があり、母乳がよく出るようにという願掛けなどに信仰を集めている樹もあるという。
このイチョウの北側に階段があって、階段には阿国塔まで100段と書いてあるが、ゆっくり数えながら上がると150段ほどあった。そこにあったのは、歌舞伎役者の名前が刻まれた石柱がずらりと取り囲む阿国塔であった。阿国を顕彰記念した塔には優雅に舞う阿国の姿が彫られ、阿国の生涯も刻まれている。晩年は法華経を読み87歳で没したとあった。阿国の墓とされるものはここから出雲大社の方へ300mほど戻った高台の墓地の一角にある。この阿国塔から西の方を見ると、眼下に青い日本海と白砂の波打ち際にある弁天島と稲佐の浜を一望できる。
さて、ここから舗装された道が山の上の方へ続いているので、これを上がっていく。途中で麓からの車のための舗装道路と出会うので、それを左手方向へ行くと、まもなく頂上の鳥居が目に入るだろう。鳥居は手斧神社のものである。手斧神社の祭神は手置帆負命(たおきほおいのみこと)、手を置いて物を計量することをあらわす神様、工匠の神とされる。また、同じく工匠の祖神とされる彦狭知命(ひこさしりのみこと)も合わせて祀られている。この二神はアマテラスが天岩戸に隠れた事件のときに材木を伐り、宮殿の造営を行った神で、後には出雲大社の造営にも携わったともいわれている。二神ともに工匠の祖神であるので建設業関係者の参拝が多いという。この手斧神社の背後にある木は白龍大神と案内されており、木の根元には石も置かれている。この白龍大神は、どういう理由か女性に人気という。
この頂上にはさらに展望台もあって、階段を上がってみると南側に薗の長浜、遠くに三瓶山が見えたら幸運といえるだろう。それらは『出雲国風土記』にある国引き神話の舞台として有名である。ヤツカミズオミヅヌノノミコトが出雲の国が若く小さいからと海の彼方から「くにこ、くにこ」と陸を引いた時の綱をかけたのが三瓶山、その綱の跡が薗の長浜になったと記されている。足を置いている奉納山も引かれて来た陸地というわけである。この奉納山の北側に見える山系には、出雲大社から日御碕に至る約13kmの旧参詣道があり、最近は歩けるようになっているため、ハイキングを楽しむ人もある。
帰りがけに見て行きたいものが二つ。一つは、上がるときに見た乳房イチョウの西側にある小さな白い建物の中にある。中を覗きこむと頭上に「十王堂」と墨書された板が掛かっている。十王堂はかつて出雲大社に祀られていたとされている。(→寛文以前と思われます)十王とは、人の死後を司る閻魔大王を始めとする王たちである。黒い仏像が何体もあるのを見ることができる。また、道路を渡ったところに、六十六部廻国聖の石碑がある。奉納山の名前の由来は、この六十六部廻国聖が全国66ヶ所を廻って法華経の経典を収めた経筒を埋めた納経塚があったからで、昭和33年に戦国時代の金銅板製の経筒が約20点も見つかっている。あっ、それは阿国塔から10mほど北側にあった納経塚と書かれている白い木柱のところにあったという。
稲佐の浜に向かおう。稲佐の浜からも奉納山は、よく見えますよ。




安来生まれの彫刻家、西田明史の作による扇を持つ阿国

出雲阿国のレリーフ

阿国塔がある場所から見晴らせる稲佐の浜の弁天島

稲佐の浜が一望できる

社の前の石柱に手の1文字の紋

手斧神社

十王堂の中に並ぶ影のように黒い彫像

十王像