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太陽を拝む神の鐘〜加茂岩倉遺跡〜

たいようをおがむかみのかね〜かもいわくらいせき〜 

見る知る出雲エリア

まるで他の星からやってきたような不思議な形をした銅鐸は、神の鐘とも呼びうる弥生時代の青銅器。その魅力を知りたくて、全国最多の銅鐸が出土した雲南(うんなん)市の加茂(かも)岩倉遺跡を訪ねた。そこは、人工物を拒むようなひっそりとした山奥の遺跡。銅鐸の謎、古代人の祈りの心に出会うにふさわしい聖地だと思った。


◎謎めく霧
降り立った出雲空港はそぼ降る雨。レンタカーに乗って、まずは雲南(うんなん)市の加茂(かも)岩倉遺跡を目指す。ここは、1996年に39個の銅鐸が出土して、1か所からの出土数で全国最多となった山奥の遺跡。
山に分け入る国道54号を走るが、道沿いの山々の霧深いこと…。そもそも、青銅器は弥生時代に中国や朝鮮半島から伝来。原料や技術が簡単に手に入らないことから、かなりの力を持った勢力集団が所有していたそうだ。しかも、銅鐸は貴重な神の鐘。この地にどんな勢力集団がいたのだろう。霧に迷い込むように謎も深まっていった。


◎シャーマン発見
看板を頼りに遺跡入り口の駐車場に到着し、そこからは徒歩で山道を上る。時折、ギーッと鳴く鳥の声や木々のざわめきに、ビクリ。銅鐸を埋めた古代人もおののき歩いたのでは…と思えるほどに山の中は森閑としていた。
しばらくすると谷は行き止まりとなるが、史跡を示す看板や案内板を見つけてひと安心。遊学ボランティアガイドの会のガイドさんを訪ねてガイダンス施設へ。銅鐸のレプリカを見ながらお話を伺った。
銅鐸のルーツは中国や朝鮮半島で家畜の首につけた小さな鈴。日本列島に上陸後、巨大化して装飾にも技巧が凝らされ、聞く鐘から見る鐘に変化をしたという。
ここで出土した銅鐸は出土数の多さとともに、他地域には見られない特徴にも注目だ。埋納方法は大きな銅鐸に小さな銅鐸を納めた「入(い)れ子」状態。独特な絵や文様も描かれている。これらの特徴から、一部の銅鐸は出雲製という説も浮上して、銅鐸は近畿製という常識をも覆しそうだ。
なかでも目を引いたのは、素朴な線で描かれたシカやウミガメ、四足獣の絵。「シカの角は春に生え、秋に伸びる。そのサイクルが稲の成長を連想させるから稲作の象徴という説があるんですよ」という解説に古代人の思いや暮らしが垣間見え、思わず文様探しに夢中になった。
そして、最初に発見したのは、釣り手部分の人の顔。目の下には刺青のような線があり、当時のシャーマンではと想像がふくらんだ。
続いて発見した×印は、剣の威力を封じ込めるために刻まれたといわれ、隣町の斐川町の荒神谷(こうじんだに)遺跡から出土した銅剣にも同様な印がある。山の尾根でつながる2つの遺跡には、どうやら深い関係があるのだろう。


◎緑色の物体に物申す
「さあ、続いての解説は銅鐸出土地で」と回廊をつたって到着した目的地は、高さ約18メートルの山の中腹。見通しは悪いけれど南向きの斜面。2000年もの間、土の中の銅鐸が太陽を拝んでいたとすれば、シャーマンが選び抜いた聖地のように思えてきた。
出土時のままに再現された銅鐸のレプリカと、鮮やかな緑色のサビ跡も実に生々しく、そっと触れると、古代人が身近にいるような気がしてきた。「誰が、なぜ、ここに埋めたの?」。謎とともに、同じ×印を刻む銅剣の出土地、荒神谷遺跡に車を走らせた。




切り立つ崖の中腹に銅鐸出土地が・・・

出土地全景

土から顔を出す銅鐸(レプリカ)

土に埋もれた銅鐸

よおく見て!人の顔らしき絵が分かりますか

銅鐸持ち手のアップ

霧の遺跡はミステリアス

霧がかかる遺跡周辺