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石見銀山街道を行く

いわみぎんざんかいどうをゆく 

知る体験する石見銀山エリア江戸時代

 大航海時代の16世紀、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日本の銀であり、さらにそのほとんどが、世界遺産「石見銀山」で産出されたものであったと言われています。戦国時代は、大量の銀は石見銀山近くの港から船で大阪に運ばれていたのですが、江戸時代になると中国山地を越え瀬戸内の尾道に至る130キロに及ぶ陸路となりました。その「石見銀山街道」を当時、牛馬300頭と人足400人の銀輸送隊が進んだのです。


 石見銀山街道を石見銀山から赤名峠までのところどころ歩く「銀山街道ツーデーウオーク」に参加してみました。出発は美しい町並み景観が続く石見銀山の大森町です。熊谷家や阿部家などは中も少し見せてもらいました。
 次は美郷町別府から始まる「やなしおの道」を才ヶ原まで、約7キロを歩きました。標高300メートル付近の山中、およそ7キロの道ですが、アップダウンもほとんどなく、ふんわりと空中回廊を歩いているような不思議な気持ちになる道です。歩行用ハイウェイという感じの道の道幅は約1.8メートル。実はこの道は、真砂土と粘土が交互に重ねられ、塩水を加えて踏み固める版築法で築かれているのです。
 途中には旅人のための茶屋跡や銀を運んだ牛の水飲み場跡、大名が腰掛けて休憩した岩などがありました。見晴らしの良い場所では、遙かにつづく山並みの向こうに三瓶山を望む雄大な景色にも出会いました。やなしおの道の終わりは一気に100メートルぐらいをつづら折りに下る急な坂道で、荷物を背負った人々には特に難所だったと思われます。ここまでが1日目でした。
 2日目は、江の川沿いの「半駄が峡(はんだがかい)」を歩きました。ここは、江の川の崖の上を通る道で、道幅も狭く遙か下の川に落ちる恐怖と緊張感に包まれる場所です。馬に積んだ荷の半分を人間が抱えて通った「半駄抱」が地名由来と言われています。今でも800メートルに及ぶ危険な崖を行く道が残っており、一部が歩けるようになっています。
 次は酒谷口番所跡を少し歩いて、下赤名の街道沿いの古民家を訪ね赤名の町へ。町に入ると銀山街道と宍道・尾道街道の合流点の道標があります。そこには「左は石州さけ谷〜、右はとん原まつ江〜」と彫り込まれています。しばらく行くと、街道に面した場所にバスの駐車倉庫があります。この建物には鉄道のレールが使われており、器用に曲げられて建物全体を支えています。レールにはKRUPP 1902の文字が浮き上がっています。1902年ドイツのクルップ社製。当時の日本は、汽車は作れてもレールが作れなかったらしく、変わり種のお宝です。
 町を離れて、赤名峠へ向かいました。旧峠は現在の赤名トンネルの上で道幅も広々としています。ここは県境でもあり、広島県側には「従是南 備後國」と記された古い石柱、島根県側には新しい石柱が立っています。日本の名峠100選の石柱もありました。




石見銀山ガイドの会の説明を聞くウオーク参加者

大森町ので様子

銀山街道に降り積もる落ち葉を踏み行くウオーク参加者

やなしおの道

赤名の町の建物に使われている鉄道のレール

赤名のバス車庫

赤名峠の道標と到着したウオーク参加者

日本の峠100選「赤名峠」