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石見銀山エリア

島根県立古代出雲歴史博物館に関するコンテンツについて

銅鐸のシンボルマークのあるコンテンツは、島根県立古代出雲歴史博物館の展示または館内施設に関するコンテンツです。



銀と緑の里

出雲の地より、西へ。石見銀山のお膝元、大森の町を、ぶらり歩き。銀と緑の里の小路には、静かに歴史と生活が混在する。ちょっと寄り道して、サツマイモたっぷりのパンと三瓶(さんべ)そばを楽しめば、ほらここにも静かに歴史のにおいがしている…。

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目を閉じれば広がる、銀のまほろば。

龍源寺間歩(まぶ)。坑道の岩肌は、当時の坑夫の筆舌に尽くしがたい苦労を強く語る。そこで出会った人びと、語られた言葉。目を閉じれば、そこには銀に湧いた往時のにぎわいが見える。

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難読、温泉津温泉。

「温泉津」(ゆのつ)。「温泉の港」という名を持つこの街は、温泉津焼を生み出し、湯治客を癒し、銀山の生活を支えた窓口=港のある街だ。北前船によって生活必需品を得、温泉津焼を全国へと運んだこの港町は、静かにいまも全国から湯を求める人を受け入れる。

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石見銀山街道を行く

 大航海時代の16世紀、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日本の銀であり、さらにそのほとんどが、世界遺産「石見銀山」で産出されたものであったと言われています。戦国時代は、大量の銀は石見銀山近くの港から船で大阪に運ばれていたのですが、江戸時代になると中国山地を越え瀬戸内の尾道に至る……

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緑と光の交わる銀山のカフェ

 石見銀山の修復・修景された板壁と赤瓦の町並みを目の奥に映しながら、龍源寺間歩のある町の奥部に向かって歩く。人が手をつないで通せんぼできるほどの幅しかない道は、徐々に、ほんの徐々にだが上り坂になっていて、時おりレンタサイクルが風に乗って山から緑の香りをしょって下って来る。この緑を……

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オオクニヌシとスクナビコナの住まい(1)

 波の彼方より天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗ったスクナビコナが海を渡って来て、これを見つけたオオクニヌシが、スクナビコナと手を取り合って国作りがなされたと古事記は伝える。このアメノカガミノフネとは、ガガイモの実と言われている。長さ10センチほどで先の尖ったガガイモの実は二つ……

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オオクニヌシとスクナビコナの住まい(2)

「志都の岩屋は 弥山(みせん)のふもと のぼりくだりの けしきのよさは くぐり岩やら 千畳敷に 神代ながらの 風が吹く」。これは1964年の東京オリンピックの時に東京五輪音頭を作詞した宮田隆による「瑞穂(みずほ)のうた」の一節である。この志都の岩屋は、現在の邑南町岩屋地区にある。……

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