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のあるコンテンツは、島根県立古代出雲歴史博物館の展示または館内施設に関するコンテンツです。
「古民家で、家具の工房をしているらしい。」 聞きつけてやってきたのは、雨の似合う閑静(かんせい)な住宅街。 「家具屋 Flat Style(フラットスタイル)」さんの建物は、古さゆえの美しさがあり、それだけで心はずむ。 どのような思いで、手作り家具がうみ出されているんだろう……
美保関に古民家を改修して泊まれる場所ができたと聞いて、さっそく行って見た。一夜干しのイカが美味しい。ここは美保神社の諸手船神事など祭礼の町。また、半島の突端には白く輝く美しい灯台があり、隠岐に渡るには、この灯台を回り込むように日本海を行くところ。そんな海辺の港町に夜になって到着……
松江市の南、市街からそう遠くない山間の忌部(いんべ)は熊山(くまやま)地区。車が一台通るほどの道でガードレールもないので、町から来た人はびっくりするという。そんな細い道を上がると茅葺きの農家が現れる。これなのかな、と思って近づくと、どうもここらしいっていう感じがすれば、それがギ……
昭和40年ごろ通りにぎっしり詰まった人波に押されて進むしかなかった土曜夜市。そのにぎわいの中心地だった出雲サンロード中町の、今では静かな通りにポッカリと空いた中町公園に面してnaka蔵はある。店主の昌子(しょうじ)さんも、あの土曜夜市の体験者、きっと大人の背中ばかりを見上げて歩……
出雲市の塩冶(えんや)小学校の近く、今は住宅地となっているが、昔この周りは田んぼだったところだから、こんもりとした防風林があって、その内側に大きなクスの木を傘にした白壁の大きな蔵がある。そんなところに隠れ家のような「蔵カフェおもひで屋」はあって、1階はカフェ。2階はアトリエ兼ギ……
石見銀山の修復・修景された板壁と赤瓦の町並みを目の奥に映しながら、龍源寺間歩のある町の奥部に向かって歩く。人が手をつないで通せんぼできるほどの幅しかない道は、徐々に、ほんの徐々にだが上り坂になっていて、時おりレンタサイクルが風に乗って山から緑の香りをしょって下って来る。この緑を……
国道9号線から石宮神社の前を通って、高速道路の橋脚の下を通り過ぎ、椎山1号墳と刻まれた来待石の道標に従って右折しなだらかに左に曲がっていく坂を上がると、見上げるような農家がある。これが、古墳ほど古くはないが築145年、明治初期に建てられた古民家である。ここが、みんなのおうちカフ……
およそ60年に一度の遷宮の後も多くの参拝者で賑わう出雲大社。その本殿と神楽殿の間を、素鵞(そが)川という小さな川に沿って自家用車が通れるほどの細い道が奥の山の方に向かっている。初夏にはホタルも飛ぶと言うから水が綺麗なのだろう。参拝者に気をつけながらその道を進んでいくと、すぐに坂……
pualは飼っている犬の名前。tyttoはフランス語で女の子。7年前に妄想で始まった雑貨屋。その妄想のお店が2年後には4畳半ほどの広さをガソリンスタンドに間借りしてスタートした。それから2年が経ち、とうとう古民家の一角を改修して、温もりを感じるお店pual tytto(ピュアル……
民藝の創始者の一人であり陶芸家として知られる河井寛次郎が、出雲の町で乗っていたタクシーを慌てて止めて飛び降り、そこにあった火鉢を手に取って、今までにない喜びようを示し、「出雲びとに造詣の血というものが流れているならば、その出雲びとの造形の結晶であり、出雲の美しさの典型の一つだ。……
朝日のまぶしい光が降って来る静かな白壁の通り木綿街道。出雲市平田町の古き香りを残す500メートルほどの通りには、今でも往時のにぎわいを感じさせる醤油を醸造している店が3軒もある上、造り酒屋も1軒あるのだ。それらに並んで300年前の製法で甘い「生姜糖」を生みだすお店も大きな木の看……
平田の木綿街道に、その昔、「外科御免屋敷」とも呼ばれた古い建物があった。長崎医家という江戸時代から明治時代に医院だったところだそうだ。そうした古い建物を平成18年に改修して、出雲市立の観光案内所「木綿街道交流館」としてオープンしたものという。道路に面した表は海鼠壁(なまこかべ)が……
平田の木綿街道に大工さんが店を開いたと聞いて木綿街道に向かった。醤油を使った美味しいアイス「醤油愛す」で有名な醤油屋の岡茂一郎商店の東隣に、玄関周りが真新しい白木の建物があった。よく見るとガラス戸の内側に白木の格子戸が並んでいた。筆描きされたWOOD WORKSの文字が並ぶガラス……
そのパン屋は葡萄畑の中にあった。店は出雲市の中心部から出雲大社へ向かう途中にある浜町あたり、出雲国風土記の時代には、神門の水海(かんどのみずうみ)の岸辺に当たる場所で、砂の降り積もったなだらかな丘が続いている。この丘から北山にかけて広がっていた神門の水海が江戸時代の初めには広大な……