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夫婦円満祈願に黄泉比良坂!?

ふうふえんまんきがんによもつひらさか!? 

見る知る松江エリア平成時代

 男神イザナギと女神イザナミ夫妻の神話舞台であり、死者と生者を分かつ場所として知られる「黄泉比良坂」。なにやら畏怖めいた謂われの多い場所だが、この地ばかりでなく、イザナミを祀る古社にまで、死者にまつわる伝説が残される。しかし、本当に恐ろしげな場所なのだろうか?ここらでひとつ、新しい提案をしてみたい。


 黄泉比良坂(よもつひらさか)。この地名を聞いて皆さんはどのような印象を持たれるだろうか。グーグルでこのワードを検索すると、いちばんにヒットするのが、ウィキペディアの「黄泉(よみ)」という項目。冥府や死者の国という意味を持つ黄泉だけに、何やら恐ろしいイメージを持たれる方も多いだろう。そして、これを出雲神話の文脈に従わせると、その黄泉の国へと通じる入口(生者と死者を分かつ境界線)としての黄泉比良坂の神話ということになる。

 さて、その神話をざっくり要約するとこうだ。「男神イザナギと女神イザナミは、天つ神の命をうけ、大八島(日本)を作り、また多くの神々を生むが、最後の火の神を生んだときにイザナミは亡くなってしまう。イザナギは亡くなったイザナミ(妻)が忘れられず、後を追って黄泉の国へ入る。しかし、ようやく巡り会えた妻イザナミは、体中からウジが湧くなど、醜い姿に変わり果てており、恐ろしくなったイザナギは逃げ帰ろうとするが、イザナギに変わり果てた姿を見られ恥じ、怒ったイザナミは、黄泉の国の醜女など悪霊邪鬼を差し向け、最後にはイザナミ本人まで追いかけてくる。すんでのところで大きな岩を使って黄泉の国の入口を塞ぎ、生者の国へ戻ってきた」というもの。

 その大岩で塞いだ場所が、黄泉比良坂だが、東出雲町にはその伝承地とされるものがあり、また同町内には、このイザナミ祀る「揖夜神社」もある。
 この揖夜神社は、『日本書紀』や『出雲国風土記』などに確認できる由緒ある社であり、それらの書物には、「イフヤ(言屋、伊布夜)社」として記録される。イザナミが祭神だけに、黄泉比良坂の伝説とも深い繋がりがあるとされるが、「揖夜神社で不吉なことが起きると天皇に不幸が起こる前兆などと恐れられた」などの言い伝えもあるようだ。

 …とかいうと、本当に畏怖めいた文脈ばかりが目立ってしまうが、誤解を恐れずに敢えて言えば、筆者は黄泉比良坂を舞台にした酸鼻を極める夫婦喧嘩は、「夫婦は仲良くしなければならない」という反面教師としての意図が含まれていると読みたい。またイザナミの死因も、産後の肥立ちの大切さを訴えたものではなかったか。このように推測すれば、本宮(東出雲町五反田)時代の揖夜神社は、女性の諸病に御利益があったという伝承も理解できるのだ。
 黄泉、醜女(しこめ)、死者と生者の境界線といったキーワードは、フックが効いていて印象深くはあるが、だからといって、無為にホラーめいた文脈で面白がっても仕方がない。それよりは一歩進んで、夫婦やカップルでこの地に赴き、永遠の愛を誓い合うのもいいのではないか。
 …と、ここまで書いてまとめようとしていたら、最近ではスピリチュアルスポットとしてもぼちぼちと人気が出ているらしい…との情報も漏れ聞こえてきた。一歩どころか、二歩も三歩も進んでいる方々もおられるようだ。




黄泉比良坂を塞いだ千引岩

黄泉比良坂を塞いだ千引岩

神蹟伝説の碑

神蹟伝説の碑

静寂な揖屋神社

静寂な揖屋神社

揖屋神社拝殿から本殿を臨む

揖屋神社拝殿から本殿を臨む