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船通山に登れば見えるものが

せんつうざんにのぼればみえるものが 

見る知る体験する奥出雲エリア

さてさて、スサノヲノミコトの天降ったと言われる船通山に行ってみることに。調べて見ると、標高1142メートルもある高い山だった。登山道も2キロメートル余りあるわけで、トレッキングシューズを引っ張り出し、リュックに水やおにぎりや着替え、雨用ポンチョなど詰め込んで、いざ出発。おっと忘れてはいけない、ホームページから「船通山自然観察モデルコース」をプリントして準備万端整った。


今回は、島根県側からの2つある登山道の1つ鳥上コースで登ることに。船通山入口は、地元の温泉のヴィラ船通山斐乃上荘の下を通り奥に400メートルほど進むと、2つある。登山道の「鳥上コース」は右へ、「亀石コース」は左への矢印標識がある。右に曲がって車を進めると2〜3分で標高700メートルの鳥上コース登山道入り口の駐車場(約30台)に着く。
さあ、トレッキングシューズに履き替えて、ここから頂上までは2.1キロメートル、約60分のコースである。歩き始めて間もなく石畳の道、ここが山陰と山陽を結ぶ交通の要の証であるらしい。
その石畳が終わり、登り口から850メートルほどのところに来るとヤマタノヲロチが住んでいたという「鳥上の滝」がある。八つ頭のヲロチが住んでいたには狭いなあと思いつつ見上げると、滝の隣に樹齢300年の欅が岩の節理を割って生きた痕跡が「石割欅(いしわりけやき)」と呼ばれている。
ここからは急な丸太の階段を登り続け、周りがブナ林になれば、厳しい上り坂の終わりが近い。平坦な尾根筋に出れば頂上までは400メートル。最後にちょっとした坂があるが、それを登りきると視界が一気に開け、雲が空が近い。
ぐるりと回りが見渡せるそこには、山々がずらりと連なっている。あっちには『出雲国風土記』に言う「火神岳(ひのかみだけ)」の大山が見える。こっちには風土記に「佐比売山(さひめやま)」と呼ばれた三瓶山。この国引きの杭にした二つの山が東と西に見える。島根半島も出雲大社から美保神社まで、宍道湖も中海も「夜見嶋」と言われた弓ヶ浜も見える。晴れていれば、遠く隠岐の島も見えるそうだ。出雲が全部見渡せると言ってよいだろう。眼下には横田の町が見下ろせる。
ここに「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)出顕之地」の記念碑がある。高さ5メートルはあると思われる記念碑を見上げていると、どうやって運んだのだろうかと誰しも思うだろう。記念碑の右手後ろに、昭和54年にこの石の記念碑を運び上げた20人の代表として「力士 一万山 廣原金三郎」と刻まれた碑がある。
「鳥上の地」に天下ったスサノオは、稲田姫を守るためにをヲロチと戦う。この山頂から真北の登って来た尾根の隣り向こうに見える丸い山が、家内住山(かないずみやま)と云い、稲田姫の老いた両親である足名槌・手名槌が住んでいた場所とも伝えられている。
船通山の麓の鳥上小学校の横にある「鬼神々社」の鳥居の横に、その船である岩船が鎮座しているのである。この神社は五十猛命の御陵とされている。船通山からの帰り道にでも寄ってみてもらいたい。
この船通山(鳥上山)から見えるところに、スサノオやヲロチの伝説がゴロゴロしている。登り口にあったヴィラ船通山斐乃上荘の下になる民家のあたりはヲロチが八塩折の酒を飲んで伏せたところとも伝える。帰り道に見かけた家人に聞くと屋号が「岩伏」というのだそうだ。物語は面白い。




鳥上滝にある石割欅(いしわりけやき)

鳥上滝にあるいしわりけやき

渓谷の中を石段の山道が通っている

渓谷の中を石段の山道が通っている

天叢雲剣出顕之地の記念碑

あめのむらくものつるぎしゅつげんのちの記

鬼神々社に鎮座する神々の乗った岩船

きがみじんじゃに鎮座する神々の乗った岩船