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そば酔譚〜肴はそばがき〜

そばすいたん〜さかなはそばがき〜 

食べる松江エリア平成時代

「あの素朴な色と香りと独特な出汁の風味を、心の奥に潜んでいる少年のころの記憶を辿ってみたい」何気なく立ち寄った出雲そば屋でふとよぎったひらめきみたいなものだった。
松江市石橋町の「きがる」は松江城近くの、「昭和」を彷彿させる町並みにさりげなく暖簾を出していた。この町には名水「石橋の井戸」なるものがあり、酒蔵、醤油屋などその水のよさを生かした日常生活品が生産されている。私は胸弾ませて暖簾を潜った。


 造り酒屋の白壁土蔵、醤油店の格子、豆腐店に貼られた昭和のタイルなど歴史を物語る建物がひっそりとたたずむ街、松江市石橋町に「きがる」はある。かつて美保関に向かう要路であった街道筋は、今は静かな住宅地だ。私にとっての「出雲そば」は「故郷」と同じ響きがあって、どこかノスタルジックな食べ物であるはずだった。しかし、松江に戻ってそろそろ一年が経とうというのに未だにその「懐かしい味」に出会わない。が、「きがる」の暖簾の奥で、静かにそばを食べている一組の客が目に入ったその時、私は軽い眩暈を覚えた。あれは少年の頃、城近くの教会の帰りに連れられて入った「そば屋」の、あの時の記憶が鮮明に甦ったのだ。向かい合って割り子を食べる若い母と少年。あの頃の、あの味が私の記憶を撹乱する。「デジャヴ?!」
 店の一番奥にある畳3枚ほどの小上がりに腰を据え貯蔵ケースに目をやると「李白純米吟醸」の壜が手招きをしている。松江の銘酒李白の蔵元は目と鼻の先だ。そば屋の酒は昔から「いいもの」が置いてあるという。いい酒を少し…これがそば屋での正しい飲み方らしい。が、いい「肴」があればそうは行かない。「お品書き」には一品料理として「そばがき」「いか麹漬け」「天ぷら」とあるだけだ。「そばがき」がこれほど堂々と写真入で載っていた店は記憶のなかにない。「そばがき」は職人の手を煩わすものだから「頼んではいけない」と私はインプットしていた。そば湯とそば粉を「雪平鍋(ゆきひらなべ)」であっという間に仕上げていく技術は当代店主の腕の見せ所と私は思うのだが…。目の前に、「江戸前」のあの柿の葉の紋様をしつらえたのとは違う、つみれ団子の親分みたいな得体の知れない(失礼)モソッとしたものが小鉢に収まって出て来たのには驚いた。いかにも素朴!!
 最初はわさびを付けないでと店主の注釈を素直に聞いて「えい!やっ!」と箸でつまんで放りこむ、とそこは未体験ゾーンで、プンとそばの香りが口いっぱいに広がる、「ほぉ…」などと分け知りの顔を作りながらもう一箸、とその直後に来るえもいわれぬ充足感は「そばがき」の温かみか…。関東はのど越し、出雲は噛んでという「そば食いのセオリー」が消し飛ぶ。芳醇なそばの香りは、そば切りでは決して味わえないストレートな存在感だ。酒で口内を潤し改めて次の一口はわさび醤油でと小皿の醤油にわさびを乗せて…これは醤油ではないことにすぐに気がつく。そば出汁だ。先の一口とまた趣が違う。「こんなのもありますよ」と店主が椀を差し出す。鴨南蛮?いや、なかにはあの「そばがき」が沈んでいた。「鴨抜き」(タネものからそばを抜いたもの)と「そばがき」のコラボレーションは李白大吟醸がやたらすすむ。合鴨が自己主張を控え、そばと出汁の香りそして酒菜の食感が酒をまた呼ぶ。これが「出雲そば」が酒に合うという伝説(?)の真髄なのだろうとひとり納得。
 「お客さんに喜んでいただくために」うまいそばを食べたいという客の気持ちをそばに求めて研究の毎日だという三代目の西村さん。「だから味は変わるのです。そばの挽き方も打ち方もいろいろやってみます。まだ私は段階を歩いています」他の出雲そばの店に修行に行き、さまざまなそばを食べ歩いたという。味は変遷をしていくけれど、お客さんの好みはそう変わるものではないと穏やかだけど熱っぽく語る西村さんの言葉に「地元客の多い店」といわれるゆえんを知ることができた。そして「懐かしい味」は懐かしい光景であることにも気がついた。仕上げに「割り子」三段ぺろりと平らげ至福満悦は2本も空けてしまった吟醸酒のせいでは決してない。奥ゆかしいおかみさんに丁重に送り出され、さて今宵の宴席はどこにしようかと夜風に思いをめぐらした。

きがる
住所 松江市石橋町400-1
電話 0852-21-3642
営業時間 11:00〜19:00
定休日 火曜日
駐車場 6台




開店準備中の「きがる」ご主人

出雲そば店 きがる

先々代より伝わる出前用「岡持ち」

岡持ち

素朴な中にも職人のワザが

そばがき

吟醸にぴったり「鴨ぬきのそばがき」

鴨ぬきのそばがき