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大国主が、来る日も来る日も通ったヒメ!?

おおくにぬしが、くるひもくるひもかよったひめ!? 

見る知る出雲エリア平成時代

古事記に登場する大国主命の彼女たち、カムヤタテヒメ(コトシロヌシを産む)、ヌナカワヒメ(タケミナカタを産むと伝える)、ヤカミヒメ(キノマタノカミを産む)、他にもタキリビメ(宗像三女神の一)もいるのだが、正妻はスサノオノミコトの娘であるスセリビメ。


さて、そのプレーボーイぶりが出雲国風土記においても、同様であることに驚く。名前を上げれば、奴奈宜波比賣命(ヌナカワヒメノミコト:古事記にも登場)=美保郷、真玉着玉之邑日女命(マタマツクタマノムラヒメノミコト)=朝山郷、八野若日女命(ヤヌノワカヒメ)=八野郷、綾門日女命(アヤトヒメノミコト)(宇賀郷)(このヒメにはふられてしまいます)などなど。
ここで紹介する真玉著玉之邑日女命(マタマツクタマノムラヒメノミコト)を訪ねて出雲市の朝山神社に行ってみた。
出雲市駅から南へ約5キロメートル。朝山神社は標高約180メートルの山中に鎮座している。麓から神社までは1.5キロメートルほど。神社の駐車場に車を止めて、いざ境内へ。まっすぐに拝殿に参拝すると、そこに見なれない優雅な神紋があった。調べて見ると「百合の紋」だそうだ。この山中に百合が咲き乱れたりするのだろうか。そうだとすれば姫の住まいにふさわしい。
この姫を娶った大国主命が毎朝通ったので、この地を朝山という、と出雲国風土記は伝えている。通い婚です。それにしても、すぐ近く、朝山から約7キロメートルの滑狭(なめさ)の郷には正妻、スサノオノミコトの娘である和加須世理比売命(ワカスセリヒメノミコト)が住まいしているのである。それに、出雲市駅のすぐ北側には、八野郷があり、そこに居るスサノオノミコトの娘、八野若日女命(ヤヌノワカヒメノミコト)にも求婚している始末。
それに不思議な事は、この朝山の姫の親神は神魂命(カミムスビノミコト)で、大国主神がこれまた求婚して逃げられた宇賀の郷のアヤトヒメも親神は一緒である。そしてこのカミムスビノミコトは、出雲国風土記では楯縫郡(たてぬいのこおり)の地名起源伝承に登場し、大国主神の宮を造営しなさいとおっしゃったと、記されているから、親も太鼓判を押した男だった、と想像したくもなる。
境内に出雲大社にもある十九社を発見。神々のお泊りになる社である。それは、旧暦10月の神在月に、神々はまずは朝山神社に参集し、しばし逗留した後に出雲大社に向われるのである。
この朝山神社は、宇比多枝山(ういたきやま)鎮座しており、ここに雲井滝(ういたき)という滝があると聞き、探してみると本殿の左側の方に「雲井滝3分」と表示があった。そんなに近いのかと山道を歩くと、携帯電話の鉄塔の脇を登ってすぐ、驚くような視界が広がる。日本海が見える。出雲大社が見えるのである。はっきりと神楽殿前でたなびく国旗が見えるのだ。眼下には神門川と山陰高速道。いい眺め。出雲大社からもこちらが見えるのでしょうね。
神社の説明板に「ありがたや、宇比多伎の宮造り、これぞ社のはじめなり」と神楽歌が紹介されていたが、今の出雲大社の創建以前の本宮がここという説もあるとか??・・・。
さて、この東屋のある展望台の右手前に山を下る階段が整備されていて、ここから2分で雲井滝と勇んで降りたけれど、少し過大広告、実際は4〜5分はかかりました。少しずつ滝の音が聞こえて来て、やっと滝に遭遇。見上げるような高く細い滝。こんな低い山で滝があるなんて、元は泉が湧いているのではないだろうか。一服の涼を楽しんで、帰り道が大変、行きは良い良い、帰りはなんとかである。約170段の階段と山道で10分はかかる。それに崩れ落ちそうな山道。気を付けないといけません。




鳥居の立つ朝山神社の入り口

この鳥居から約500メートルで本殿

珍しい百合をかたどった神紋

本殿に浮き彫りにされた百合の神紋

はるか遠くに日本海、出雲大社の雄大な景色

日本海と出雲大社を望む雄大な景色

高さ100メートルあると言われる雲井滝(ういたき)

涼しげな音を立てる雲井滝