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一つ目の山全体がご神体?巨石信仰か?

ひとつめのやまぜんたいがごしんたい?きょせきしんこうか? 

見る知る雲南エリア平成時代

松江から雲南市大東町へ向かい、大東町の真ん中あたりの上久野という所にタケミナカタノミコトが自らの荒ぶる魂を封印した大岩があると聞いて、出かけて見たのです。
おおあれだと山を見上げると大岩が露出している。あれが奥の院とすれば里宮の鎌倉神社があるはずだがと辺りを見回すと、こんもりと鎮守の森が見えた。


その森の方へ車を向けて行くと、鎌倉神社と彫られた大きな石柱が立つ駐車場があった。そこに車を止めて降りると、おお!向こうの山に巨岩が露呈し、大きな一つ目のように鎮座しているのが見える。あそこには後ほど登ることにして、まずは鎌倉神社に参拝してみた。
境内に由緒書きが掲げてあった。そこには「創建年代は不詳であるが、大國主大神の御子神である武御名方大神を祀り、神社後方の巌根山をご神体としてお祀りしている。」とある。続けて「武御名方大神が国譲りの時に諏訪に鎮座するにあたり、自らの荒御霊(あらみたま)を祀れば、わが神業なる白銅、鋼の鉄とその元となる黒金の鉄をも与えよう。」と言ったとある。
『古事記』では建御名方神は、高天原の使いである建御雷神と取っ組み合いをして痛手を受けて諏訪の地まで逃げるのだが、その時にこんな物語があったと言うのだろうか。伝説とはおもしろいものだ。
地元の人によれば、江戸時代に砂鉄9万貫目(約330トン)を産出、また当時この地の鉄師が鋼を作る鑪(たたら)を10か所と鍛冶屋3軒半を経営していたという。大変な鉄(鋼)の産地だったことがうかがわれるのである。
一説によれば、建御名方神のミナカタ、つまり南方は、たたらの高殿の四本の押立柱の中の南方の柱のことで、これは元山柱と称されて特に神聖視された柱で、その柱を祭ることは、製鉄神を祭ることにほかならないので、建御名方神は製鉄神と考えられる、とされている。
その昔、この地域では建御名方神を祀ることによって、大量の鉄が産出されていたとも思われるのである。
それが何故また、山自体をご神体として祀ることになったんだろう。それを探るためにも一つ目の大岩のある巌根山に登ってみよう。歩いて巌根山のふもとに来ると木の鳥居が立っており、その内側に、生山大権現と彫られた苔むした石碑が立っている。その昔、この山は生山とも呼ばれ、山に生山城という城があって、古老の言い伝えによると鎌倉権五郎景政がその城を築き応徳2年(1085年)に生山神社を勧請したという。
笹の葉が風にゆられてサラサラサラと音を奏でる山道を登って行くと、下からみた大きな岩の下に出る。そこに社があって、これが生山神社である。この日は天気も良く、眼下には上久野が見渡せる。先ほど居た鎌倉神社はちょうど真南に見える。
ここから険しい山にへばり付いて登って巌根山(生山)の頂上の大きな岩にまで必死の思いで上がった。木立がなければ、まわりが見渡せただろう。ここに城があったのだろうか。あいにく霞がかかって見えなかったが、地元の人によると西に三瓶山、東に大山が見えるのだそうだ。だからここは、『出雲国風土記』の国引き神話の綱の杭となった山が見えるという場所である。この山のふもとに居たら、思いもよらない景色があるというわけである。
しかし、この頂上登山は、登山の専門家が同行していなければ避けた方が良いでしょう。険しい崖と道無き道ですから。


※この鎌倉神社の奥の方に、かみくの桃源郷というキャンプ施設があります。

鎌倉神社
住所 雲南市大東町上久野269番地





鎌倉神社から望む一つ目の大岩のある巌根山

鎌倉神社から望む巌根山

巌根山に生い茂る笹の葉

巌根山に茂る笹の葉

近くで見る大岩

生山神社と大岩

山からのひろびろとした景色

山からの景色