八雲山の中腹に大きな磐座(いわくら)の奥宮がある須我神社は、雲南市大東町にある。静謐な八雲山山中に高さ4メートルはあろうかという大岩の左となりに中ぐらいの岩があり、これがスサノヲノミコトと妻のイナタヒメとも言われている。
スサノヲはヲロチ退治の後にこの地に降り立ち、清々しい所だと言ったので、「須賀」の地名が付いたと言われる。そしてそのままここに、ヲロチから救い出したイナタヒメとの新居を造営し、美しい雲が立ち登る様を目にして「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を(やくもたつ いずも やえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)」という三十一文字(みそひともじ)の歌を詠んだと言われている。そんなことからここは和歌発祥の地ともいわれている。
須我神社の本社は、松江から大東へ向かい松江の忌部峠を越えて降りた集落にある。鳥居のすぐ右横にある石に和歌発祥の遺跡、日本初之宮と刻まれている。日本初之宮(にほんはつのみや)とは、二人が住んだ御殿がそのまま神社になったとの云われからのようだ。本社の両脇にそびえる大杉から荘厳な雰囲気が境内に降り注いで、気持ちが清々しくなる。
世界で最初の和歌に出雲八重垣とあることから、出雲の地名の起源ともいわれており、なにごとにおいても発祥の地である。この本社の後方へ2キロメートルほど行くと奥宮がある。道案内に沿って車で5分も行くと八雲山のふもとの駐車場に着く、散歩していた地元の人に聞くと、最近は週末になると車が4、5台停まっており参拝者が良く来るようになったとのことである。
山道の入口には、夫婦岩まで400メートルと表示されており、登って行くと山水が湧いているのか「みそぎ場」があった。そこから200メートル行くと、階段になっていて、その上にいくつかの輝く御幣をくくりつけた大きな苔むした岩が鎮座していた。木漏れ日を浴びて御幣が白く光っていて、岩はほとんど黒々として静まっている。
真ん中の大岩がスサノヲ、右の中ぐらいのが妻のイナタヒメ、右の小さいのが息子だそうだ。この三つの岩の真ん中に石で作られた社があって、参拝方法が記されている。2礼2拍手1礼で言葉を唱えて2礼2拍手1礼で終わる。森の中へ広がって行くはずの拍手や声が、まるで岩に吸い込まれていくように感じてしまう。ちょっと一人で来たのが心もとなくなってくる。
この夫婦岩の左の方へ進むと、八雲山の頂上へ向かうことになる。およそ500メートルぐらいだが、すぐにハアハアと息が荒くなる。夫婦岩までよりは勾配がきつくしんどい。しかし、たどり着いた標高426メートルの山頂からは、宍道湖と中海を眺望でき、特に中海方向の眼下に、熊野大社のある八雲の集落とその奥宮のある熊山を見ることができる。あちらの聖地とこちらの聖地が続いているのだと実感できる。
須我神社
住所 雲南市大東町須賀260番地