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神々大集合、溢れる物語、縁切りも?

かみがみだいしゅうごう、あふれるものがたり、えんぎりも? 

見る知る松江エリア平成時代

目的の佐太神社に日曜日の朝10時ごろに着いたら、境内は『出雲国風土記』の地を巡るツアーの一行で時ならぬ賑わいを見せていた。また午前中に子どもを連れて祈願する親子が5組ほどあり、またロマンスグレーのカップルや、カメラを下げた若いカップルも幾組か。この大社造りの3つの本殿が並び立つ壮観な佐太神社の境内に足を踏み入れ、3つの本殿にそれぞれ柏手を打って手を合わせて行く。


 さらにこの日、境内前にある駐車場から本殿が正面から一番近くに見える場所に、スルスルスルと進んできた軽自動車を見やると、運転していた女性が手を合わせて拝礼した。軽自動車はそれだけでス―っとUターンして帰って行ったが、日々の行いのような感じであった。
3つ並んだ本殿を仰ぎ見ると、その屋根に掲げられた紋が異なることに気がつく、佐太大神が祀られている真中の社(正中殿)には扇の形の紋が掲げられている。この扇紋は、神宝であり重要文化財となっている彩絵桧扇(さいえひおおぎ)という表裏の金箔、銀箔の上に水辺に遊ぶ鶴や草花と蝶などで四季が描かれた豪華な扇が元になっているという説がある。この扇、閉じるための緘糸(とじいと)もなく、実用には不向きであり、納める箱にも開いたまま入れる形となっている。この神宝とされる扇はなんのために開いたままの形なのか、様々な推測のうちの一つは、人がその思いを扇に乗せて神に伝える意味があったのではないかと言う。この扇の神紋は「扇地紙紋(おおぎじがみもん)」と呼ばれる。
 さて、右隣の北殿には、天照大神とその孫であり、天孫降臨で知られる瓊々杵尊(ニニギノミコト)が祀られている。この北殿の神紋は丸印が二つ入り組んだ形で「輪違紋(わちがいもん)」と呼ばれており、天照大神とその弟である月読大神(ツクヨミノオオカミ)を陰陽として表わしたものとされている。
 ニニギノミコトの婚姻には物語があり、それを表すものが佐太神社の東側100メートルのところにある田中神社にある。ここには二つの社が背中合わせで立っており、東を向くのが姉神の磐長姫命(イワナガヒメノミコト)、西の佐太神社を向いているのが妹神の木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)です。姉神のイワナガヒメノミコトは縁切りの御利益がある全国でも珍しい神社として、男女の悪縁を除くため、参拝、御祈念に訪れる方が多数あるんだそうです。
 ニニギノミコトは、この姉妹との結婚を勧められたのですが、繁栄の神であった美しい妹神とだけ結婚したために、不老長寿の神であった姉神の恩恵を受けられず、栄えはするが神々ほどには長生きではなくなったと『古事記』は語っている。
 次に左にある南殿の屋根の紋は出雲大社でも見られる六角形の亀甲紋ですが、ここは二重亀甲紋となっています。祀られているのは素盞鳴尊(スサノヲノミコト)秘説四座(ヒセツヨンザ)の五柱の神々です。亀甲紋はスサノヲの神紋との説もあるようだ。
 3つも本殿があるほど、蒼々たる神々が鎮座されているわけですが、さらに、この南殿の左手奥には裏山の三笠山に続く石段があり、これを50メートルほど上ると、開けた場所に出ます。そこに磐境(いわさか)があり、母儀人基社(ハギノヒトモトシャ)が祀られています。これは出雲の国と伯耆の国の境なる比婆山に葬られたと言われる日本の国を生み出した神の伊弉冉尊(イザナミノミコト)の陵墓である比婆山の神陵を遷し祀ったと場所と云われ、中世にはずいぶん信仰されていたとのこと。時折、鳥の声のする森の中に、秘かに存在する神域である。
 帰りがけに駐車場横にあった「だんだん家」という小さなカフェに寄ってみたら、そこに「すまし汁ぜんざい」というものがあった。ぜんざいは佐太神社の神在り祭の時に餅と小豆を煮た神在餅が起源らしく、すまし汁に餡餅と海苔の入った磯の香りがする変わりぜんざいを味わった。正月三が日、この辺りの家では、小豆ぜんざいに砂糖壺から家族が思い思いに砂糖を降りかけて食べるのだそうだ。

住所:松江市鹿島町佐陀宮内73
電話/FAX:0852-82-0668




本殿が3つ立ち並ぶ壮観な境内

本殿が3つ立ち並ぶ佐太神社

屋根に見える扇の紋

真ん中の正中殿屋根に見える扇の紋

森の中に鎮座する磐境(いわさか)

母儀人基社(ハギノヒトモトシャ)

餡餅の入ったすまし汁ぜんさい

餡餅の入ったすまし汁ぜんさい