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あっちもこっちもダイコク様、大国様です

あっちもこっちもだいこくさま、だいこくさまです 

見る知る出雲大社境内散策出雲エリア平成時代

出雲大社の本殿に向って左後方に、主祭神であるオオクニヌシの「大国(だいこく)神像」が359体も展示された彰古館がある。本殿の姿が美しく望める場所であることもあって、大正3年(1914)に出雲大社の宝物館として造られたこの木造建築に目を留める人はほとんどいません。近づいて玄関の引き戸の波打つガラス越しに中を覗き込むと、そこにはずらりと並んだ大国神像が笑顔であなたを迎えてくれる。


玄関左の小さな窓に200円の拝観料を置いて、ガラガラと音を立ててガラス戸を引くと袋を背負った大小さまざまな神像がところ狭しと並んでいる。大きな像は人の背丈ほどもあり小さなものは小指爪ほどで、その顔がみんな笑っている。これらは、昭和54年に北海道の佐藤仁一さんが奉納されたものだそうだ。
大国とも大黒とも表わすが、ここでは大国と表示されている。オオクニヌシは因幡の白ウサギを助けて、八神姫と縁が結ばれるのは誰もが知る有名な物語であるが、その時のオオクニヌシは出雲大社の社務所の横にある因幡の白ウサギとの像として、だれもが思い浮かべる袋背負いの姿である。
この姿と大国と大黒の読みが同じことから、袋を背負った七福神の大黒様と習合して平安時代以来、大国神像は農業の豊穣や商売の繁盛、縁結びなど幸せを願った人々に、ここに展示されているように彫刻されて、家々に祀られたという。
明治・大正期の著名な彫刻家である高村光雲が作製した鋳彫と木彫は、釣り上げた大きな鯛を持つ恵比寿像とセットで作られている。また、江戸時代に彫刻の名手として知られ、日光東照宮の眠り猫でも知られる左甚五郎の作と言われる神像も小さな社の中に窮屈そうではあるが、恵比寿さんと一緒に収まっている。
また、少し大陸調の面立ちで、笑顔であるがやや不気味な感じもする大きな面が並んでいた。これは豊臣秀吉から天下一の称号を許された能面師、是閑吉満(ぜかんよしみつ)の恵比寿大国の面である。この他にも恵心僧都(えしんぞうず)や一休さん作と言われる像も並んでいる。
このダイコク様の起源はどこか、いつかというと。もともとはインドとその周辺でマハーカラーと呼ばれ、中国では摩訶迦羅の文字で表わされる。マハーは大の意味して宇宙を指し示し、カーラは時間を示して、死をも意味するため、今風に言えば、宇宙の起源と言われるブラックホールのようでもあり、光明も無い死の世界のことである。カーラは黒、大黒の世界となる。この起源をさらにたどるとインド神話の最高神であるシヴァ神にたどり着くらしいので、みなさんもこの大黒のブラックホールを訪ねてみてください。
さて、彰古館には、こうした神像の他にも宝物が展示されている。中でも驚くのは、オオクニヌシの御鏡、水入、眉造、櫛、髪抜、毛抜などとそれを収めた黒漆塗りの化粧箱がある。オオクニヌシは、今様男子のようにお化粧したってことですか。と突っ込みたくなる宝暦三年以前とされる品々である。
この他、江戸時代にオオクニヌシの御神徳を全国に広める働きをした御師(おし)の携帯した懐中笏(かいちゅうしゃく)や矢立、手提げ提灯なども展示されている。御師は、布教先の人々を出雲大社へと誘い、訪れた人々を自宅を宿して提供したりして、出雲大社を全国へと広めた人々である。
見飽きない展示の数々を眺めて後、彰古館の外に出ると。明るい空に向って本殿がそびえている。境内を歩き、勢溜(せいだまり)まで歩む間に、あれ?大国様だ!と見える人がいる。あれ?この人も。あれだけたくさんのさまざまな顔立ちの大国神像を見たばかりだからか、よく似た人が次々に眼に止まるのである。こちらのお兄さん、あっちのおばさん、あのタクシーの運ちゃん。いや〜大国さん顔ってあるんだね。

彰古館
開館時間 8時30分から16時30分
拝観料  200円




彰古館の外観

彰古館の外観

この恵比寿大国の2つの像は小さくてまるっこい

高村光雲作と伝わる恵比寿大国

笑っていると言っても、少々不気味にも感じる大きな面2つ

是閑吉満の恵比寿大国の面

小さいものは1センチ、大きなものは1メートもある大国様たち

彰古館内にところ狭しと並ぶ大国様たち