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スサノオの姫、その縁の地

すさのおのひめ、そのゆかりのち 

知る食べる出雲エリア平成時代

奥出雲の地、船通山はスサノオが降り立ったところと伝わる。だとすれば、やはりクシナダヒメもここに縁があるのだろうかと聞いてみると稲田姫が生まれたところがあると言う。そのクシナダヒメを産んだのは誰かと言えば、アシナヅチとテナヅチの夫婦である。クシナダヒメが産声を上げた時に、そのへその緒を笹竹のへらで切ったという伝説が伝わっていた。なんと具体的な描写なのだろうと驚きつつ、その場所、笹宮に行ってみた。


その名も稲田神社という宮が奥出雲町の横田にあると聞き出かけて見ると。そのすぐ近くに笹宮はあり、簡単に見つけることができた。この稲田神社は昭和7年に、横田出身で九州小倉において石炭王と呼ばれた小林徳一郎氏が、生まれ故郷に神殿を新築、勧請した意外に新しい神社である。がしかし、小林氏もきちんと由緒ある場所を選んでいた。この稲田神社のすぐ近くに稲田神社の元宮がある。稲田神社の大鳥居から参道を50メートルほど北へ戻ったところの稲田神社の駐車場のすぐ先の右手にこんもりとして、いくつもの御幣が下げられた笹竹の森がある。これが笹宮である。
テナヅチが稲田姫を産み落とした時に、アシナヅチが笹竹で竹のヘラを作ってへその尾を切ったとされているが、古来より臍の緒を竹で切ることが行われていたといい、その始まりがアシナヅチというわけである。この竹ベラを逆さまに立てておいたら、それから芽が出て今のように育ったという。
笹宮からさらに100メートルほど進み、左手の小川を渡って道なりに100メートル進むと人の背丈の2倍ほどもある高い田の畔に突き当たる。ここを右手に歩むと田んぼの向こうの大きな椎の木の下に鳥居が見える。これが稲田神社の元宮跡と伝わる。境内には、クシナダヒメがここで生まれ産湯を浸かったと伝わる産湯之池もあり、木製の柵と白い御幣で神域が示されている。
この元宮跡には、こんな説話が残っていた。稲田に住んでいた弥次右衛門という人が、ある夜、夢のお告げがあり、文政5年(1822年)3月2日に、この場所を掘ったところ「神剣」が出て来たという。さらに翌年の8月4日に再び夢を見て掘ったところ「神鏡」が出て来たため、それらを神宝として宮をつくり信仰したのだと。
クシナダヒメはアシナヅチ、テナヅチの両親に育てられ大きくなるが、ヤマタノオロチに姉姫7人が呑み込まれており、いよいよクシナダヒメもと悲嘆に暮れる両親。そこにスサノオが現れて、地元の伝承では、稲田姫を横田にある布勢という場所に隠し、両親が住んでいた長者原という所で酒を作って、ヤマタノオロチに飲ませて酔っぱらわせて退治した。クシナダヒメを隠した場所は、今でも元八重垣神社跡して伝わり、ヤマタノオロチをおびき出すためにクシナダヒメの姿を映した鏡ケ池も布勢に伝わっている。この横田には、スサノオ、クシナダヒメ、ヤマタノオロチに関わる伝説の地がたくさんあるのだ。
再び稲田神社に戻ってみると境内に社務所兼そば屋があった。庭にスサノオとクシナダヒメの石像があるこのそば屋は、蕎麦の在来種「横田小そば」を栽培して、手打ち十割のそばを提供する 姫のそば ゆかり庵 。広島や東京からのお客さんも立ち寄り、クシナダヒメの世界、出雲神話のファンタジーに触れる場所となっている。

姫そば ゆかり庵
住 所 島根県仁多郡奥出雲町稲原2128-1
電 話 0854-52-2560
営 業 11:00〜15:00
定休日 火曜日




稲田神社の境内から見た大鳥居

稲田神社の大鳥居

青空の下にこんもりとした笹宮

白い御幣がいくつも並ぶ笹宮

柵と御幣で神域と示される元稲田神社跡と産湯之池

左手前が元稲田神社跡、右奥に産湯之池

しーんと鎮まる稲田神社境内

現在の稲田神社拝殿