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宍道湖の湖底に鳥居があるって、ホント?

しんじこのこていにとりいがあるって、ほんと? 

見る知る松江エリア平成時代

 このタイトルの不思議な話が伝わるのは、松江しんじ湖温泉駅からローカル線の一畑電鉄に乗って7番目の駅となる津ノ森駅のすぐそばにある神社である。宍道湖の湖面を眺めながら津ノ森駅のアナウンスを聞いてプラットフォームに降り立ったら、宍道湖の方を向いて左手方向を眺めれば、そこに、小ぢんまりとした神社が見える。これが目的の大野津神社である。


 この地域は大野と呼ばれる。『大野郷土誌』には、「本社は大野下分字森、宍道湖岸にあって、清明の気に満ちている、清楚な社殿を囲む樹齢数百年の老松散在し、南面は湖の風光を一望におさめ、遥か東に出雲富士の秀峰を仰ぐ景勝の地を占めて、神域にふさわしい境内である。」と記されている。
 線路を渡り、国道431号線を注意深く横断すると、すぐそこが神社である。進んで行くと最初に目に入るのが「大野津神社由来」を大きく墨書されガラスで覆われた板面である。そこには、まず御祭神 須佐之男命とあり次に御由緒、そして特殊神事、雨乞神事とある。そこに書かれている事を読むと、目が釘付けになったのが、雨乞いのために、宍道湖中心の湖底にある鳥居の上で蛇骨を振るとある。
『続大野郷土誌』によれば、近年では昭和9年(1934年)7月10日に執り行われたという、この神事は2夜3日に渡るので、その荒行に耐えうる心身ともに強健な湖北の神職5名を選んで行われたとある。
 そして、準備されたワラ製の蛇型の一部に鱗のような蛇骨の一片を押し込んで祀り、1万回の祓いを行ったそうだ。そして三日目、早朝から大野をはじめ近隣の秋鹿(あいか)、伊野の人々が集い、境内は人で満ち溢れた。蛇骨を新調した竹籠に移して神輿に安置し、それを船に乗せ、神職や楽手などがもう1艘の船に乗る。他の2艘には津ノ森の里から選ばれた若者が乗って、勇ましいかけ声とともに船は岸を離れ、昔からの伝承の地点・・・湖底に石の鳥居のあると伝えられるところに着く。
 そこは左の写真の場所、4つの山を結ぶ線の交わるところという。慎重にその場所に錨を下し、船先を遥かスサノオのオロチ退治が行われた斐伊川の川上に向ける。この形が整うと、蛇骨を納めた2個の竹籠を白木綿の紐で、真下にある伝説の鳥居に向かって下ろす。祭典は南方に向かって行われ、終わると蛇骨はもとの位置にもどされる。やがて帰路につく時に、神職は皆、下着一枚の裸になる。すると他の2艘に陣取る若者たちが、用意した水桶で宍道湖の水を御座船めがけて滝のごとくにかけるという。一方で御座船の船頭は水をくみ出す。これが20〜30分も続くようである。
 雨乞神事が終わり、船が大野津神社に向かって湖面を静かに進んでいると、宍道湖南方の山々に暗雲がわき起こり、湖上を一陣の風が吹いたかとおもうと、大粒の雨が音を立てて降り注ぎ、神社で祈りつづける里人の間に歓喜と感謝の声がわき上がった。そして、ここでも若者たちが参拝の人、道行く人たちに、みさかいもなく水をかける。逃げる人にも追いかけて水をかける。恵みの雨の中で、さぞ賑やかなことであっただろう。
 境内からも宍道湖が眺められるが、岸辺に立って、南方の山を見れば伝説の地が想定できる。この雨乞神事、残念なこと近年では行われていないと言う。境内には、ワラ蛇が祀られた荒神さんもある。大野には蛇食山(じゃばみやま)という場所もあり、津ノ森は古来は角森と云い、ヤマタノオロチの角が流れ着いたところいう伝説もある。一度でいいから雨乞神事を目の当たりにしてみたいと思わずにはいられない。




宍道湖の波の音が聞こえる境内建つ社

出雲地方で特徴的な大社造りの本殿

境内への入り口に掲げられた由緒書き

筆で書かれた雨乞神事の解説

境内から一歩出ると宍道湖が広がる

船の先に湖底に鳥居の眠る地がある

4つの山を結ぶ線が交わる宍道湖上が鳥居の場所

大野郷土誌・続に掲載された伝承地点の図