メニュー


鶴に乗って舞い降りた祭神

つるにのってまいおりたさいじん 

見る知る大田エリア平成時代

 島根県大田市に標高1,126メートルの三瓶山がある。火山である。『出雲国風土記』の国引き神話では、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と引き寄せた土地が再び離れて行かないように、国引きした大綱をつなぐための杭を打った。それが佐比売山 (今の三瓶山)なのである。この三瓶の地名にかかわり、大和朝廷で蘇我氏と勢力を争った物部氏の祖先を祀った物部神社がある。


 物部神社は、三瓶山から流れ出た静間川が南から流れ来る忍原(おしはら)川と出会う場所、地名も川合(かわい)にある。
 大きな鳥居をくぐって入った広い境内は、奥に大きな拝殿があり、拝殿屋根の上に少しだけ本殿の千木と鰹木が見える。その背後にある山は八百山(やおやま)という。物部神社の祭神であるウマシマジノミコトの御神墓が、この八百山の山頂にあると境内案内図に記されているので、拝殿に参拝したら早速、左手に向かうと石垣に御神墓として案内表示がある。赤い鳥居の稲荷社の左脇に石段があり、木の根が縦横に走る山道を足元に注意しながら進む。林の中なので昼間でも少し薄暗い場所で行き止まりとなり、そこで目を上げると石の柱が立っていた。ゴロゴロとした丸い石が積まれた中央に立っている石柱は高さ数十センチで自然石ようだ。

 このウマシマジノミコトは物部氏の祖先と言われており、社伝によれば神武天皇のもとでアマノカグヤマノミコトと共に日本各地を平定し、その終わりにこの石見の地を平らげた時、主にお神酒を入れる神聖な土器である厳瓮(いつべ)を据えて、この地を安(やす)の国とした。ということから三瓶山からこの物部神社あたり一帯が安濃郡(あんのぐん)と呼ばれた地名由来ともなったという。

 こうして平定の役割を終えたウマシマジノミコトは、白い鶴に乗って物部神社から南東に約4キロメートルにある鶴降山(つるぶさん)に降りた。鶴降山は標高538メートルの高い山であり、そこから国見をして、大和の天香具山(あまのかぐやま)に良く似た山を見つけた。それが本殿背後の八百山であり、鶴に乗ってその麓に降りて来た場所が折居田(おりいでん)という場所で、その時に腰掛けたといわれる岩も現存していました。武勇の誉れ高い祭神が鶴に乗っていたことから、物部神社の神紋は、勝運を運ぶ真っ赤な太陽を背負った日負鶴(ひおいづる)となっている。なお、鶴降山には登山道もあり、山頂には小さな祠が祀られている。

 本殿は継体天皇(513年)の時に創建したと伝わり、建築は出雲大社と同様の切妻造・妻入となっているが、春日造(かすがづくり)の様式の一つで屋根が大きく反ってカーブを描く部分がとてもダイナミックなものとなっている。この姿は本殿に向かって右側から良く見ることができる。

 さて、その本殿右側に小さい社が二つ並んでおり、少し大きな「後神社」の右隣りにある小さい方の社が一瓶社(いっぺいしゃ)である。祭神ウマシマジノミコトがこの地を平定した時に、三つの瓶(かめ)を三カ所に据えたと伝わる。一番目の瓶が一瓶社、二番目の瓶が三瓶山の麓の浮布池(うきぬののいけ)に浮かぶ島にある邇幣姫(にべひめ)神社、三番目の瓶はこれも三瓶山の麓の神社、三瓶大明神(現在の三瓶山神社)に祀られたことから、三つの瓶の山「三瓶山」と名前が付いたといわれている。

 諸国を平定したウマシマジノミコトは力強い神であったと思われるのであるが、その神が鶴という優雅であるが、か細い鳥に乗ってやってくるという話は、いくぶん想像しかねる姿といえないだろうか。研究者によると鶴(鳥)が稲穂を運んで来て降りた場所が折居田と呼ばれたような地域の伝承と混在した可能性があるのではないかという。興味深い話である。




境内の奥に拝殿、本殿、八百山

本殿屋根の背後に八百山

春日造りの本殿を横から見る

屋根のくびれがダイナミック

赤い太陽を背負って飛ぶ鶴の図

赤い色の眩しい日負い鶴

山中にそびえる鶴降山

鶴に乗って舞い降りた鶴降山