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山から滲み出る水の恵み

やまからしみでるみずのめぐみ 

見る知る大田エリア平成時代

 ゴーゴーと勢い良く流れる水の音が足元の水路から聞こえてくる。ここは、大田市多根の小豆原口バス停の前。そのバス停から目と鼻の先に佐比賣山(さひめやま)神社がある。『出雲国風土記』の冒頭の国引き神話では、「国来、国来(くにこ、くにこ)」と引き寄せた土地が再び離れて行かないようにと、国引きした大綱をつなぐための杭を打った。その杭が佐比売山 (さひめやま:今の三瓶山)と記している。


 その山の名を冠した佐比売山神社が三瓶山周辺には八社あると民俗学者の白石昭臣さんは言っている。なぜそんなにあるのか。今回、三ヶ所を探し出したが、先の問いの答えは出し切れなかったと最初に白状しておきたい。
 一つは石見銀山にある佐毘賣山(さひめやま)神社だが、それは島根県西部にある益田市の佐毘賣山神社から分祀されたものという説もあったので、それ以外に三瓶山の古称「佐比売山」を頂く神社を、文献などを元に三瓶山の近くから探してみた。すると三瓶山の中腹となる多根地区にあった。

 神社は植えられたばかりの稲苗がそよぐ、三瓶山から湧き出た澄んだ水が一面に広がって、キラキラと光る田んぼの中にあった。
佐比売山神社と大きく刻まれた石柱の横の石段を上がって入った境内は、大きな木がドン、ド〜ンと生えている。初めての場所で目に止まるものは異形のものである。おや、これはなんだ?と境内の右手の方へ向かうと、丸い石が3個並んで置かれている。力石(ちからいし)と表示があって、どうもお祭りの時に力くらべに持ち上げて何歩歩けるかなどを競ったもののようである。

 その隣には、さらに不思議な形のものがあった。石の柱に糸が巻かれ、小ぶりな絵馬がいくつも下がっているのである。これは「叶え杭」というものだそうで、出雲市の長浜神社で「願い綱」を求め、これを佐比売山神社に持って来て、この3本の石の杭に結わえつけると絵馬に託した願いが叶うというのである。長浜神社のある白砂が続く海岸の園長浜は、先の「国来、国来」と引いた綱の跡であると『出雲国風土記』に伝えられている。その綱を繋ぐのに打った杭が佐比売山。神話の綱と杭が願いを受け止めてくれるというのであろう。無病息災、出会い、家族の幸せ、優勝、合格、お金持ちになりますようになど、一枚一枚見ていると、様々な人生が想われたり、身につまされるものもある。

 この境内には本殿をめぐる「哲学の小道」と呼ばれる回廊が整えられていて、板に掘られた格言が並んでいる。「たった一度の人生」で始まる回廊を歩むと本殿を背後から眺めることができる。本殿を見ることを忘れないようにしないと、つい格言に気を取られて回りおわるので、お気をつけくださいね。

 社伝によると、オオクニヌシと一緒に国づくりしたスクナヒコナ、そしてオオクニヌシの妻であるスセリヒメが伯耆の大神山(今の大山)にいらっしゃったが、次に出雲国の由来東郷に来られて、百姓に鋤鍬を与えて農業を教えた。その土地を田鍬という。それから琴引山に登り、次に石見の佐比売山に至って、池を作り樋を掛けて稲種を蒔き、民に鋤鍬を授けたので、ここを多根という、と伝わっているそうだ。この三神が祭神となっている。

 この三瓶川の水源地とも言える場所から三瓶川が静間川に合流して日本海に注ぐあたりの鳥井(とりい)という地区に向かった。その昔、三瓶山の周辺に八社あったという佐比売山神社は、三瓶山を仰ぎ見る湧水地であったという。地図を頼りに鳥井にある二ヶ所目の佐比売山神社に着くが、この神社は明治44年に元の八幡宮に合祀されて佐比売山神社とされたと聞くので、元の佐比売山神社の社地を探さなくてならない、境内にいるとちょうど近所の人が参拝に来られたので聞くと、広々とした田んぼの広がるところへ案内してくれて、田んぼの向こうのこんもりした茂みのあたりと指差して教えてくれた。その佐比売山神社から南東へ約500メートルほどの場所へ行ってみると、その山裾で小さな音であるが水の流れる音がする。音のする方の草をかき分けると水が流れている。草が生い茂って奥には進めないが、湿地だったというから、どこかに湧き水があるのだろう。ここは言い伝えられる湧き水の佐比売山神社と言えるのではないだろうか。他の六ヶ所の佐比売山神社はどこにあるのか。




鳥居の向こうにスギ、タブの大木が見える

タブ、シイなどの大木がそびえ立つ

左に石の杭が3本、右には丸い石が3個

境内の叶え杭と力石

水の張られた水田の向こうに杜が見える

中央が佐比売山神社の杜

参道に3本の鳥居がある

鳥井の佐比売山神社の参道は長い