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三瓶山の八宮とは

さんべさんのやつもととは 

見る知る大田エリア平成時代

 前回は佐比売山神社、前々回は物部神社。今回はその2回の続き。物部神社には一瓶社がある。これは、三瓶山の昔話に、大きな地震で山が崩れ、3つの瓶(かめ) が飛び出したので三瓶山と呼ばれるようになったと山名由来として紹介されるものの一つである。その一瓶は物部神社、二瓶は浮布の池にある迩幣姫神社(二瓶社)と云われ、三瓶は三瓶は三瓶町池田にあった三瓶社(現高田八幡宮)と言われている。


 迩幣姫神社には伝説があって、白鳳13年(684年)に三瓶山で大地震があり、その時に飛んで来た瓶は、今の浮布池(うきぬののいけ)の東側の亀隠れに沈んだという。この亀隠れには「瓶隠れ」であったのかもしれない。この大地震で浮布の池ができたと伝わる。それ以来、この池の水が静間川の源流となり、流域の人々によって亀隠れの小丘に迩幣姫神社を祀り、後の宝亀5年(774年)に浮布の池の中ノ嶋に移したそうである。
 迩幣姫神社は、土地の産土神として信仰されるとともに「水の神」として崇敬され、干ばつの時には流域の人々が手に手に鍬を持って集まり、大雨洪水の時には「水留祭」と称えて参詣祈願したという。昭和40年頃でも、祭りに際しては水受面積によって拠出金を出すようになっていたり、集落で神職の送迎や神社の清掃が分担されていたという。
 浮布池の広さは南北約750m、東西約400m。この池の名前の由来は、初夏の朝夕の頃に、迩幣姫神社から池の端に立つ写真の鳥居の沖まで、幅2メートル余りの水面が、白布を浮かべたように見えることから付いたという。さらに伝説もあり、『池のほとりに住んでいた美しい姫が、青年の姿に変身した大蛇に恋するようになった。ある日そこを通りかかった弓の名手が大蛇と一緒にいる女性を見かけた。その女性の顔に凶相が表れているように見え、「助けねばならない」と感じた名手が弓を引き、弓は大蛇に命中し、池に消えた。姫は青年の後を追って池に身を投げた。姫が身を投げたと言われる7月15日に、毎年池の北汀にある鳥居から中の島の邇幣姫神社にかけ幅2メートルの白い波の道が立ち、その様は着物が湖面を漂っている姿に見える』(引用:おおだ定住促進協議会HP
 三瓶の天降った三瓶社は三瓶谷にあったが、明治39年に高田八幡宮に合祀されたという。それまでは、佐比売山(三瓶山の古名)の神霊を祀り佐比売山神社とも三瓶八面(やおもて)大明神、加多美(かたみ)社とも称されていたという。
 さて、この二瓶、三瓶に続いて、三瓶町多根の中津森に鎮座する佐比売山神社にまつわるお話をしよう。中津森より約3キロメートルほど上に立石原という場所があり、そこに上津森の立石さんと呼ばれる磐座が鎮座している。説明板には、三瓶山の麓八郷の開拓に尽くしたと云われる少彦名命(スクナヒコナノミコト)をお祀りする、と書かれている。磐座は幅も高さもおよそ180センチの三角形の大石で立石原の地名由来とも伝わる。
 次に中津森の佐比売山神社より約400メートルほど下った下多根と呼ばれる場所に、下津森の天宮(あまみや)と呼ばれる小さな祠があり、併せて比売塚があると伝わる。実際現地を訪れたが、見つけることができなかった。この比売塚にはオオクニヌシの妻スセリヒメが祀られいたという。今は、佐比売山神社に合祀されている。こうして見ると、佐比売山神社に祀られているオオムナチ(オオクニヌシ)、スクナヒコナ、スセリヒメが上津森、中津森、下津森にそれぞれ祀られていたのかもしれない。そして、この3つの森が三瓶川の上流となり、上津森がその水源となっているのである。
 先の立石さんの説明書きにあった三瓶山の麓八郷の開拓にまつわる話も伝わっている。三瓶山は伝説の宝庫なのである。安永4年(1775年)に池田村社司の福谷越前が物部神社に差し出した記録に、「八面大明神 三瓶山又形見山トモ云 麓八ヶ所祭所如左」として、「池田村三瓶谷一座、久部村氏社一座、志学村氏社一座、多根村氏社一座、山口村藤木社一座、角井村湯比社一座、同村土木社一座、上山村氏社一座、右何レモ佐比売山神社也」とある。大田市の郷土史家の故石村禎久さんは、三瓶山は水の湧き出る八つの地域からひらけていったと伝えられると、「三瓶山~歴史と伝説~」に書いている。その八つの地域は「池田」「小屋原」「山口」「角井」「上山」「多根」「久部」「志学」を指していて、その水の湧き出る八カ所に祠を建てて水の霊を祀り、このように八カ所の宮があることから八宮(やつもと)と呼んだと記している。福谷越前の記録にある三瓶山の麓八ヶ所とは、小屋原を除いて一致することから、最初に八宮があって、その後に佐比売山信仰が生まれて来たのだろうと結んでいる。三瓶自然館で聞くと、今も上記麓八ヶ所、そして小屋原にも豊富な水の湧き出る場所があると地図で説明してもらった。小屋原の水源は1年を通じて水量に変わりはなく、豊富な水量のため、島根県の内水面試験場が作られイワナやヤマメの養殖が行われていた。いまでは釣り堀となっているが、こんこんと湧き出る豊富な水があってこその今がある。
 こうして青々とした三瓶山を仰ぎ見ると、大昔には、三瓶山は水の湧き出る神聖な場所と感じられていたのかもしれない。

参考文献
山岡栄市編 三瓶山周辺の社会と文化 1966年4月 大明堂
白石昭臣 島根県物部神社の古伝祭 1983年 古典と民俗学の会
谷川健一編 日本の神々 神社と聖地 7 山陰 1985年 白水社
石村禎久 三瓶山 歴史と伝説 1984年 大田市観光物産館
石村禎久 三瓶山の史話 1967年 大田市観光物産館




浮布の池の中に立つ鳥居

鳥居の正面向こう岸に迩幣姫神社

立石さん三瓶山にも似た三角の大岩

立石さんの向こうの山は三瓶山

天宮の小さな祠、前には田んぼが広がる

下津森の天宮、雨乞いもしたという

釣り堀にはイワナとヤマメの養殖池がいくつも並ぶ

小屋原にある豊かな水量の釣り堀