メニュー


鷺浦のギャラリーしわく屋

さぎうらのぎゃらりーしわくや 

見る食べる出雲エリア平成時代

 およそ60年に一度の遷宮の後も多くの参拝者で賑わう出雲大社。その本殿と神楽殿の間を、素鵞(そが)川という小さな川に沿って自家用車が通れるほどの細い道が奥の山の方に向かっている。初夏にはホタルも飛ぶと言うから水が綺麗なのだろう。参拝者に気をつけながらその道を進んでいくと、すぐに坂道となって出雲大社の背後にある八雲山の脇を過ぎて峠に至る。


 峠を超えてカーブの多い山道を下り出雲大社から7キロメートルほど来ると、白い灯台のある海に出る。鷺浦(さぎうら)である。小さな灯台の下に何人かの釣り人が見え、その前を小型の漁船が港に帰って来た。港には漁船が何艘か係留されており、陸に引き上げられている船もいくつか見える。『出雲国風土記』に「鷺濱。広さ二百歩(約356メートル)あり。」と記されており、今は道路や魚の冷凍庫のために埋め立てられて砂浜はずいぶんと少なくなっている。

 この漁村のほぼ中央部に大きな屋敷がある。白地にしわく屋と染められた暖簾(のれん)が潮風に揺れている。開け放たれた玄関を入ると暗い土間に古い箪笥(たんす)や椅子が置かれており、広がる畳の間には数人の客があって、木芸品や陶芸品が飾られている。玄関の土間の天井を見上げると黒く大きな梁が見え屋根から光が差し込んでいる。これは屋根から屋内の煙を外へ出すところから洩れ来る光である。外から見ると広々とした大屋根の上にちょこんと、その煙だしと呼ばれる小さな屋根が乗っているのである。

 「いらっしゃいませ。」の声に誘われて上がり、8畳敷の3間続きを奥へ進むと小庭があり、手入れのされた盆栽がそのまま大きくなったような太い幹の松の木がある。高さが3メートルほどのその松のゴワゴワとした幹を触ってみるとの皮と皮の間の深さが10センチもありそうなのでびっくりする。座布団に腰を落ち着けて元祖ぜんざいを注文した。

 このしわく屋は江戸時代から明治に至るまで北前船の船主で瀬戸内海の塩飽(しわく)諸島の塩を売って財を成し、その塩飽からの船乗りが泊まったので塩飽屋という屋号がついたと言われる。そうした船宿が江戸時代には22軒もあったというから北前船の入る港として栄えていたことだろう。今でも港の西側には北前船を係留した石の杭が数多く残っている。

 こうしてギャラリーしわく屋として誕生したのは2012年8月だという。格子窓の光と影の縞の中に置かれた元祖ぜんざいの焼け目のついた餅が光っている。これがよく伸びる餅で嬉しい。神在そば400円はカツオと昆布ダシの薄味で人気がある。他にうどん400円やコーヒ、抹茶、シャーベットなどの飲み物は300円で揃えられている。

 お土産にもなる炭火手焼せんべいは、出雲市今市のせんべい屋で使われていた道具を使って2枚ずつ丁寧に炭火であぶって焼いている。

 昭和54年11月に「街道をゆく」を著した司馬遼太郎が、ここ鷺浦を訪れていて「入江の一角に村があるが、村というよりも明治期までの船問屋がそのまま子孫にとっての住まいになっていて、石見瓦でふかれた屋根、重厚な土蔵、格子のはまった表座敷といった建物が、幾重にも組みあわされて、かつての富をほぼ想像することができる。」とエッセイ「千石船」に書き残している。【「司馬遼太郎が考えたこと〈10〉エッセイ 1979.4~1981.6 」(新潮文庫) 】

 塩飽屋は塩の売買で潤ったというが、明治40年から大正6年ではこの鷺浦の移出貨物は油桐(あぶらぎり)、樹皮、銅・亜鉛・石膏、するめなどで、移入貨物は石見瓦、昆布、鰊(にしん)、数の子、綿、鉄屑(てつくず)である。当時、油桐の種からとった油は和傘や防水用の油紙に、木材は下駄の材料となっており、鷺浦では植林までして重要な産業となっていたという。

 また明治時代の出雲大社参拝の旅行案内には、大阪商船で鷺浦に着けば大社まで二里(約8キロ)と書かれていたそうで、大社へ越える道には茶屋もあった。

 司馬遼太郎は、ここで北前船に乗っていたという飯島権一という出雲弁の美しい丁寧語をつかう当時85才になる老人から、彼が船乗りであった15才から20才になる頃の話を共通語にして採録していた。「いや、もう当時は北前船のマッサカリでございました。この鷺浦でも、港いっぱいに碇(いかり)をおろしておりました。北海道から昆布や数の子を積んで大阪へ運ぶのに、ここに寄ってゆくのでございます。」とか「秋田では材木の板を積みます。それを博多へ持ってゆき、博多でおろすと、こんどは石炭を積みます。その石炭を堺にもって行っておろすのです。堺からは石造りの灯籠(とうろう)、石のおイナリさん、石の唐獅子などを積んで出雲へもどりました。乗組は4人か5人でした。」(「千石船」より)飯島翁の乗っていた船は千石船ではなく三百石船だったそうで、千石船なら乗組員は8人だっと語っている。

 こうした海運も明治45年に大社に鉄道ができ、大社駅が開業すると急速に衰えてしまう。ここ鷺浦にはその頃の風景が今もそのままに塩飽屋を中心にして残っているのである。

ギャラリーしわく屋
営業期間:3月から11月
営業日:土・日・祝(平日のご来店につきましてはご相談ください)
営業時間:10:00から16:00
問い合せ:TEL 0853-53-1501(土・日・祝)
(平日は渡部さん携帯 090-3743-7226、岡さん携帯 090-1354-2115)
ブログ:http://shiwakuyagallery.blogspot.jp
フェイスブック:https://www.facebook.com/galleryshiwakuya




奥の方にはナマコ壁などもある外観全景

どっしりとしたギャラリーしわく屋

八畳敷の間が三つ並んだ大広間である

格子のはまった表座敷の奥に松の木

こんがりと焼き色のついた小豆ぜんざい

元祖ぜんざい

小さな鷺浦の漁港、どの路地からも見える小さな白い灯台

鷺浦の港はいつも釣り人がいる