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必ず雫(あめふ)らしたまう石神

かならずあめふらしたまういしがみ 

見る知る出雲エリア平成時代

 決して平坦とはいえない細い山道を息を弾ませながら40分ほど登って行くと道の周りも平らになった場所に着く。ここが『出雲国風土記』に記された四つのカンナビ(神名樋)山の一つに比定されている大船山(おおふなやま)の山頂である。「神名樋」の意味は神と山は文字通りの意で、「なび」は「籠もる」「隠れる」を意味しているという。つまり「神が籠っている山」ということになる。


 木立の間を風がゆるやかに吹き抜けいていく山頂には、特段に変わったことは何もない。周囲を雑木林に囲まれ良き眺望もない。しかし、『出雲国風土記』は、この標高327メートルの大船山の山頂の西に石神ありと伝えている。
 石神に行き着きたい。山頂を通り過ぎて北へ平坦な尾根道を300メートルほど行くと案内標識があった。「檜山小学校卒業記念、平成20年3月」と記された木製の目印で(檜山小学校はこの山の近くにある)、大きく「右 野田池、左 石神(えぼし岩)」と手書きされていた。これを見て少々ホッとする。林の中では進んでいる方向も不確かだったからだ。しかし、ここからどこが道か見極めにくくなり不安になる。なんとなく人が歩いた跡と思われる形跡を必死に探しながら進むと、幾分道らしくなり、続いて一抱えもある岩がいくつも現れてくる。これが「風土記」に「往(みち)の側に小き石神百余(ももあまり)ばかりあり。」と記される所なのだろうか。「高さ一丈(2.97メートル)、周り一丈」とされる石神はどこだろうと、さらに進むと道は下り始めるので、岩に掴まりながらしばらく山を下る。
 すると、なにやら前方ににょっきりと立ち、頭に樹木を冠のように載せた大きな岩があった。これが写真で見た石神と同じようだ。地元では烏帽子岩(えぼしいわ)とも呼ばれている。その背後から来たことになろうか。石神はその下部が開けた所に立っているように見える。石神のあたりでさらに急になる斜面を岩や木につたわりながら降りて見上げると、起立する大岩に樹木がまるで注連縄(しめなわ)のように絡まり、枝葉が注連縄に下がる紙垂(しで)のように見え。その自然の造形に目を奪われる。
 ふもとに家々が見える。ふもとからこの石神が見えるのだろうか。そんな山々に柏手の音が木霊して行く。
 なぜ、こんな山奥の木々に囲まれた中にあるこのような大岩を石神としたのだろうか。大船山の石神は、天御梶日女命(アメノミカジヒメノミコト)が多久(宮)村に来て、多伎都比古命(タキツヒコノミコト)を産む時に「今まさに産もうとしてるが、ここがちょうどよい。」とおっしゃった。それ故に、石神はタキツヒコノミコトの御依代であり、日照りの時に雨乞いをすると、必ず雨を降らせてくれるのだ、と『出雲国風土記』は古老の伝承を記している。
 しかし、この鳥帽子岩は長い間忘れられていたようで、昭和37年(1962年)に出雲国風土記の研究者であった加藤義成氏に再発見されたと言われている。地元の人に案内されて石神に巡り合った加藤氏は次の和歌を詠んだという。
 岩肌の荒らきを抱きて泣きにけり求めつ老いて見得し石神
この石神をさらに下っところに、干ばつでも枯れたことがないという長滑(ながなめ)らの滝もあるという。
 この親子の神々を祀った神社が近くに二つある。一つはお椀を伏せた山容の大船山のふもとにある多久神社であり、もう一つは、虹ヶ滝という滝がご神体という宿努神社である。木漏れ日の中で滝の飛沫に虹がかかる滝の祭りの準備をしていた地元の人によると、大船山の後方の鍋池山には4つの池があり、山頂付近にもかかわらず枯れたことがないから、水が湧いているのだろうという。また、この虹ヶ滝から北へ山を越えると坂浦に出るそうだが、その途中に雨乞いに応える石神として紹介した雲見峠の立岩さんがあるとのこと。そんなことを知ると、大船山がまるで水で膨れ上がった大きな水滴のように見えて来た。

大船山へ農道からの入り口 緯度経度:35.473654, 132.856111
大船山登山道入り口 緯度経度:35.475108, 132.855274
多久神社 緯度経度:35.471221,132.848501
虹ヶ滝  緯度経度:35.482495, 132.845652
宿努神社 緯度経度:35.482088, 132.844495




大船山の西にある鳥帽子岩

ここに石神あり

大船山の麓にある多久神社境内からの景色

多久神社から神名樋山(仏教山)が見える

大きな滝から水が霧のように立ち上る

虹ヶ滝にかかる虹

まあるい形の大船山

この大船山の麓に多久神社がある