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山を祀る宇夜里の巨石

やまをまつるうやのさとのきょせき 

見る知る出雲エリア平成時代

 『出雲国風土記』に宇夜里(うやのさと)と呼ばれる地が登場する。出雲郡の健部郷(たけるべのさと)の話であるが、『出雲国風土記参究』を書いた加藤義成さんは「この郷を古くは宇夜里といっていたが、その名の由来は、宇夜都弁命(ウヤツベノミコト)という神がこの郷の山に峰に天から降られ、この神の社が今でもこの地に鎮座になっている。それで神名によって宇夜里といったのである。」と解説している。


 そして山の峰は大黒山(だいこくやま)であろう、とも言っている。『出雲国風土記』では神が坐す、もしくは籠もる山をカンナビ山として表現している山が4つあり、この大黒山のすぐそばにも、カンナビ山の1つに比定されている仏教山(ぶっきょうさん)があるのだが、今回は出雲市斐川町学頭にある大黒山を目指して登ることにした。登山道はいくつかあるとのこと。一つは道の駅湯の川から南へ向かった「ひかわ美人の湯」や「四季荘」といった温泉を通り過ぎて農道に突き当たったあたりからの登山道。もう一つは、その農道に突き当たって左に約600メートル進み右折して山裾を進んだ所から始まる整備された登山道である。今回は後者の登山道を選ぶ。軽自動車ぐらいははいれるが、自動車の進入は禁止となっているので、手前の広場に車をおいて約1キロメートルを登る。といっても標高差は200メートルぐらいである。
 頂上近くは階段も整備されて登り切って上を見上げると風雪にさらされて白くなった木製の鳥居がそびえ立っていた。天降ったと伝わる宇夜都弁命を祀る社かと思ったら、兵主(ひょうしゅ)神社というもので、出雲の地を開拓した大国主と少名彦を祀っていた。大黒山という名前にふさわしいとは思いつつ、この山頂を巡ってみる。
 兵主神社の横には小さな砂山があり、これは大黒山が雨風で崩れるので、参拝者は一升の砂を携えて登り来て祈願し、参拝後はそこの砂の1合を持って帰り、田んぼや畑に撒けば害虫が寄りつかないというご利益があるそうだ。そして、兵主神社の紹介書きに御神体は西を向いている、とあり、おや?出雲大社の御神体の向きと同じなのは何故、と興味を抱かれる向きもあろうと思うが、宮司さんに聞いたところ、社殿を立て直す時に、もとの社殿は西向きだったのだが、頂上の土地の広さの関係で北向きに建てたので、中の御神体だけは西向きにしたのだ、ということだ。
 山頂からの眺めはとても良い。宍道湖から日本海までぐるりと見渡せるのである。神々が天降るにふさわしい場所と感じたが、女神の宇夜都弁命はどこに祀られているのだろう。
下山してから探してみると、祀られているのは、この大黒山のふもとにある神代(かむしろ)神社と斐伊川のそばにある万九千神社だという。そこで、銅剣358本が発掘された荒神谷遺跡同じ斐川町神庭にある神代神社に行ってみた。道路脇に据えられた案内板に、山の中腹に宇夜都弁命の磐座があると驚くべきことが書いてあるのだ。居ても立っても居られず長い石段を上がって本殿に拝礼、そして境内左奥が広くなっており、向かってみると大きな荒神さんが祀られてあった。うむ、磐座はどこだろう。参道の本殿手前あたりで右手に山道が伸びている。そこを辿ってみると350段ほどの階段を登ることになる。登り切ると大きな鉄塔の下にでるので、ここを右へ右へと500メートルほど進むと注連縄がかかる猪の横顔のような大岩があった。ここへの道は、住民によって参拝の復活のために2000年頃に整備されたという。
 これが宇夜都弁命として祀られる磐座で、神代神社の本宮とも言われている。高さは6メートル、周囲は10メートルほどもあるだろう。幾つかの大岩が寄り集まったゴツゴツした形容である。そして特筆すべきは、大岩の正面に立って後ろを振り返ると、真正面に、あの先のとんがった大黒山が鎮座しているのである。斐川平野から仰ぎ見るのと異なり、大黒山に間近に対峙するように居ることができる場所であり、この大きな磐座の上から大黒山、宇夜都弁命が天降った山を敬ったのではないだろうかと想像してみたくなる。


登山道入り口の緯度経度:35.368080, 132.874648
神代神社 緯度経度:35.378448, 132.861320
神代神社本宮の大岩 緯度経度:35.378446,132.863493




鳥居の向こうに宍道湖が見渡せる

頂上にある鳥居

頂上に砂の山ができている

持ち帰るには持って来てね砂を

荒々しい感じで大きく割れている

神代神社元宮のご神体と言われる大岩

斐川平野から見える大黒山

とんがった場所が大黒山