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疱瘡の守護神日本第一也

ほうそうのしゅごにほんだいいちなり 

見る知る出雲エリア平成時代

 みなさんは疱瘡(ほうそう)という病気をご存知だろうか。天然痘とも言われる伝染病で感染力が高く、致死率も高い恐ろしい病気であった。国立感染症研究所の解説には「明治年間に、2〜7 万人程度の患者数の流行(死亡者数5,000〜2万人)が6回発生している。」とある。こうした恐ろしい疱瘡から守ってくれる神様として「疱瘡神」があって、それが出雲大社の北、日本海に面した鷺浦にあるという。


 その鷺浦には出雲大社の裏山を越えて行く。入り口は出雲大社本殿と大しめ縄で有名な神楽殿の間を通る道であって、大勢の参拝者に注意しながら奥へと抜けていく。すると大社の喧騒が嘘のように静かな山間の道をくねくねと進み、切り割りを越えて猪目(いのめ)峠を直進し300メートルほどで鷺峠を越える。飛び出す「鹿に注意」の看板などのある道をくねくねと下って行くと日本海が見えてくる。その見えたと思った場所の右手に神社が鎮座している。
 御影石の鳥居の横に大きな自然石に伊奈西波岐(いなせはぎ)神社と刻まれている。旧社名は鷺大明神。祭神はイナセハギノミコト(稲背脛命)で、日本書紀のオオクニヌシの国譲りシーンで、美保関に居たオオクニヌシの息子であるコトシロヌシのもとに遣わされ国譲りの承諾を問うた神で、「いなせ」は「否諾(いなせ)」の意味とも言われている。
 この神社がなぜ疱瘡神と言われているのかと言うと、地元の方から分けていただいた資料に、大社から遠く離れた東京の地にその由来がわかるところがあった。東京都豊島区雑司が谷にある大鳥神社の由緒として、江戸中期の正徳三年(1712年)、江戸において松江藩の五代藩主松平宣維(のぶすみ)の嫡男(後の六代藩主松平宗衍(むねのぶ))が三才の時に疱瘡(天然痘)に罹って療養中、出雲国より鷺大明神が飛来して救った云われ、その後神託によって雑司が谷の鬼子母神境内に祀ったとある。さらに驚くべきは、鷺大明神は古来より疱瘡除けの霊験あらたかなる神様として崇められ、聖武天皇と天武天皇の御代に疱瘡が流行した時に出雲より飛来し天皇と人々を疱瘡から守ったという言い伝えがある、としている。
 先の五代藩主松平宣維の時に完成した松江藩の地誌である『雲陽誌』にも、鷺宮のことが記載されており、そこには、鷺宮の神はスサノヲの側女であって、疱瘡を患いスサノヲと不仲になったため、吾を祈れば疱瘡の患いをまぬがれるようにしようと誓ったので、この宮の石をとって小児の守袋に入れてかけていれば疱瘡から逃れられると伝わる、と記されている。
 この側女とは、先の江戸雑司が谷の鬼子母神境内を描いた「江戸名所図会」巻之四「鬼子母神堂」の項「鷺大明神祠」の説明書きに、この皐諦女(こうだいにょ)とあり、これは法華経の陀羅尼品に示される女性の鬼神で、鬼子母神とともに法華経の受持者を護持するとされる。ここには、神仏習合の影響があったのかもしれない。
 また、順天堂大学が所蔵する「鷺大明神疱瘡守護之記略辞」にも鷺大明神と疱瘡の関わりが描かれているが、そこにある歌に「いもはしか かろきおもきの へたてなく まもらむ鷺の 神庭の石」とあり、疱瘡守護と石の関連を伝えている。さらに、日向の修験野田泉光院が諸国名山霊蹟を巡拝した時の「日本九峰修行日記」文化十四年(1814年)四月十六日には「海辺へ出て鷺大明神と云ふに詣て納経す。これ疱瘡の守護神日本第一也と伝う。(略)近村の者疱瘡前にはこの社の社段の石を申請け帰り、疱瘡成就の上返すとのこと也」と記している。
 今、境内を歩くとそうした石や小石はまったくと言ってよいほど目につかない。本殿のある一段高くなった玉垣の内を覗き込むと、そこには角の取れた丸い小石が敷き詰められていて、これが名残かと思われた。
 この伊奈西波岐神社は『出雲国風土記』の企豆伎社に比定されている。風土記の研究者の中には、この社の旧社地は、今の社の横を流れる八千代川を800メートルほど遡った大きな磐座ではないか言う人もあるので行ってみた。県道23号線の道路脇に車を止めて、道路から東側の薄暗い林の中に木の鳥居が見え、その背後に目をやると岩壁のような、その壁に沿って上に見上げると、これは大きい。これまで出雲で磐座とされるものを数多く見てきたが、これほど大きなものを見たのは初めてかもしれない。



この伊奈西波岐神社に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。
大鳥神社(東京豊島区) 35.722074, 139.715554
磐座(御陵神社とも呼ばれる)35.434026, 132.681776

参考文献
博士学位論文 「江戸後期文芸作品をめぐる食と養生」名古屋大学大学院国際言語文化研究科 日本言語文化専攻 畑 有紀 平成27年4月
島根国語国文 第6号 鷺神社考 石破 洋 平成7年 島根県立島根女子短期大学編




鳥居、狛犬、随身門と進む、昔はこの境内に千年松と呼ばれる大木があった

八千代川ほとりからの景色

境内を出れば本殿を横からも見ることができる

石垣で1段上にある本殿

この小石がお守りになったのだろう

本殿まわりにたくさんある小石

見上げるほど高く大きな岩である

旧社地とも言われる磐座