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寝仏さん、キューピーさんの嵩山

ねぼとけさん、きゅーぴーさんのだけさん 

見る知る松江エリア平成時代

 「いとしい人を待ちわびているものは誰しも、嵩山の頂上までお参りしようとする。この山は町のどこからでも見えるし、頂上にあがると昔の国が見渡せる。」これは小泉八雲が著書「心」に描いた嵩山の描写である。彼は明治24年の初夏に登ったといわれている。そのころもヤマユリが咲いていたのだろうか。標高331メートルの山頂からは見晴らしも良く、『出雲国風土記』の時代には狼煙(のろし)をあげる烽(とぶひ)があった。


 嵩山に登るには主に2つのルートがある。1つは、整備された約1100メートルの登山道を登るもので、ところどころで眺望が楽しめる。登山道の入り口には車が10台ほど止まれる駐車場とトイレが整備されている。もう1つは、今ではあまり歩く人はいないが、山頂にある布自岐美(ふじきみ)神社へ続くおよそ1400メートルの参道である。道は細いが森の中を進む山歩きの雰囲気が楽しめ、ヤマユリの生息も多い道だそうだ。ただし、嵩山は火山の噴火でできた溶岩の山が噴火時の熱水で変質し、粒子が細い赤色の岩や土になっているため、雨で濡れるととても滑りやすい。2、3日天気が続いた後に登るのがおすすめだ。
 地肌の赤い山道を30分ほど登り木立の奥に鳥居のシルエットが見えたら嵩山山頂で、鳥居から100メートルあまり進むと林の中に布自岐美(ふじきみ)神社が鎮座している。この社の祭神は、ツルギヒコと言いスサノヲの御子で戦いの神と言われており、江戸時代には松江藩の武士が弓矢の大神として崇拝したという。そのため、戦時中には住民が出兵した親族の無事を祈ってたくさん参拝したといわれている。
 さて、『出雲国風土記』に記載される布自岐美神社だが、同風土記の山口郷の由来について、祭神であるツルギヒコが、「わたしが治める山口のところである、と言われたので山口と言う。」と書かれており、ツルギヒコの鎮座地としては山口郷がふさわしく感じる。また風土記は嵩山にあたる布自枳美高山(ふじきみたかやま)に烽(とぶひ)があったと述べつつも社があると記していないことから、『出雲国風土記』のころに嵩山山頂には社はなかったと考える説がある。さらに、嵩山の東の山腹に嵩という地名の集落があり、そこに布自岐美神社に続いて風土記に登場する多気社の旧社地があることから、もともとは嵩山山頂には多気(たけ)社があって烽の整備の折に麓に降ろされたのではないかとする説もある。時代の変遷の中で、神社が入れ替わったのかもしれない。現在、山頂の布自岐美神社の背後には「嵩神社」が東の嵩地区に向いて鎮座している。
 嵩山は周囲から良く見える山で、西は宍道湖を挟んだ出雲平野からも見える。特に宍道湖の上に浮かぶように見えて、その姿が横たわる仏様に見えることから「寝仏さん」と呼ばれて親しまれている。また、東の中海側の住民からは「キューピーさん」と呼ばれており、実際に中海側の江島からは仏様よりはキューピーさんらしく見えて微笑ましくなる。
 神社のそばの展望台からは中海に浮かぶ大根島を眼下に、空気が澄んでいると右手遠方に大山を望め、鳥居近くの展望所からは隣の和久羅山(わくらさん)、弥勒山などの近景の向こうに、神名樋野(かんなびぬ)と『出雲国風土記』に載る茶臼山も見える。登山道途中からは、松江市内と宍道湖の広々とした風景が楽しめる。ちなみに、寝仏さんでもキューピーさんでも、おでこが和久羅山、鼻が弥勒山、胸が嵩山である。
 ちょうど登った時に、自然保護レンジャーの方と出会った。昨年はなんと180回も登ったという。山の仲間と倒木を片付けたり、秋の例祭には地元のみなさん70~80人と一緒に山道や登山道、境内の掃除をするそうだ。5月の中旬から咲き始めるヤマユリがとても綺麗だから、もう一回来てみませんかと誘われた。
 また、枯れることのない綺麗な清水の場所も教えてもらったので、帰り道に寄ってみた。山の尾根伝いにも行ける場所であるが、嵩山の北西の麓になる熊井の滝である。車を止めて100mほど山中に入ると高さ3メートルほどの滝が音を立てて落ちている。弘法大師の杖の跡より噴出したという言い伝えがあるという。
 

この嵩山に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

嵩山登山口の駐車場 35.483006, 133.105777
熊井の滝      35.496192, 133.096349




ふじきみ神社の背後にある、だけ神社と撮影

頂上の右の嵩神社と布自岐美神社

空気が澄んでいれば右手奥に大山が見える

展望台からの中海眺望

静かな中海に姿も映ります

東の江島からのキューピーさん

滝の音に打たれて佇みたくなります

嵩山の恵み熊井の滝