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電鉄出雲市駅

でんてついずもしえき 

見る知る出雲エリア平成時代

 一畑電車の電鉄出雲市駅は、JR出雲市駅の東側に隣り合っている。その一畑電車の駅を10メートルほど通り過ぎるとレンタサイクルがある。今回は電車には乗らずに、まずは自転車でGO! 高架になった線路に沿ってビルや家々を眺めながら東に向かうと、500メートルほどで緑の森と白く光る御影石の墓石が立ち並ぶ丘の前に着く。ここは大念寺という寺の墓所で、南側になる左手方向に回り込むと山門がある。


◎大きな大念寺古墳
 山門をくぐって見回すと、本堂に向かって左側に古墳と書いた案内標識があり、それに従って、本堂の横を通り、墓所に上がってすぐ左側に大念寺古墳の解説板がある。そのすぐ前に石室入り口があったが、しっかりした鉄格子がはまっている。中には入れないが、解説パンフレットに加えて、大きな懐中電灯が備えてある。その灯で中を照らすと、奥の方にパンフレットの写真にある石棺の側面が浮かび上がる。こんな見学は初めてだが、照らすアクションが面白い。この大念寺古墳は標高約20メートルの大念寺裏山に築かれており、全長約92メートルで、出雲では最大規模の前方後円墳である。6世紀後半に造られたと考えられており石室も県内最大規模である。発見は江戸時代で、副葬品はパンフレットに印刷された絵図で見ることができる。古墳から振り返ると、出雲市の中心地を広く眺望できる。

◎江戸時代に開削された高瀬川
 大念寺の山門を出て、そのまま南へ100メートルほど進むと幅5〜6メートルの川がある。これは江戸時代に、松江藩の命により大梶七平衛によって開削された農業用水路「高瀬川」で、物資の輸送路としても用いられた。川の北側には歩行者や自転車用の細い道があり、反対側は主に自動車の道となっている。そこに、筒描藍染の長田染物店がある。布団皮や出雲らしい縁起物の風呂敷などで知られており、時々、染物が川の流れに波打って晒されているのを見ることができる。
 ここから高瀬川の上流に向かって川面を共としながら3キロメートルほど進むと、岩の中からゴウゴウと音を立てて流れ出る高瀬川の源流に至る。岩の上に向かう坂を登ると向こうには大きな川、ヤマタノオロチ退治で有名な斐伊川があった。源流は斐伊川の水を通す岩樋となっており、高瀬船が斐伊川に抜けて通れるほど大きなものだ。この岩樋からは高瀬川とともに、間府川が西へ向かっている。この川も開削されたもので、安定的な農地確保に奮闘した人々が偲ばれる。
 岩樋を後にして、来た道を1キロメートルほど戻ると自転車道の標識がある。そこから西へ向かうと斐伊川土手の下に出るので、その土手下を北に向かって進みJR山陰本線の下をくぐると、まもなく大きな大津町の通りに出る。ここには江戸時代の松江藩主が宿をする本陣もあった。この通りを下っていくと電鉄の大津駅がある。

◎斐伊川と神立橋
 土手を走ってみたいので、土手沿いに進むと大きく長い橋がある。神立橋(かんだちばし)と呼ばれ、出雲の神在月に全国から集った神々が、この橋の向こうにある万九千神社から全国各地に帰ると伝えられることから、神立橋の名がついたといわれる。現在の橋は昭和13年8月に完成した。その橋の下は大量の砂で埋め尽くされている。この砂は上流の雲南市や奥出雲町の花崗岩の山々が風化して崩れたものの末裔である。特に江戸時代には、日本刀を作る玉鋼(たまはがね)や鉄製農耕具などにする鉄を「たたら製鉄」によって作った。それは、花崗岩が風化した山地を「かんな流し」という方法によって削り、その土砂の中から玉鋼の製造に必要となる砂鉄を選り分けたのであるが、その含有率は3%にも満たないため、山が幾つも無くなるほどであった。その上、山を削り取った跡は農耕地にするというものでもあったため、一生懸命にかんな流しを行ったようで、大量の砂が斐伊川を通じて下流に運ばれて、この神立橋から現在の宍道湖までが埋まってしまったと言っても良いほどである。
 斐伊川を吹き渡ってくる涼しい風を切って土手を北へ向かうとすぐにまた大きな橋が見えてくる。こちらは「からさで大橋」という。これも万九千神社の神々の出立の儀式が「神等去出(からさで)祭」と呼ばれることから、名称募集の末に決まったといい、とても出雲らしい名称の橋である。土手の河川敷には野球やサッカーのできる運動場があったり、ゴルフコースがあったりする。夏には斐伊川で水遊びをする親子連れも多く見られ、また花火大会も開催されることから、斐伊川は出雲市民にとても馴染み深い川と言って良いだろう。

◎鹿島の要石(かなめいし)
 からさで大橋の下をくぐり抜け、鹿島の要石に向かう。天気が良ければ、斐伊川と北山の姿が美しくペダルをこぐ足も軽いだろう。要石は一畑電車の線路近くにあって、説明板には、鹿島明神の要石とあり、「ゆるぐとも よもやぬけじの かなめいし かしまのかみの あらんかぎりは」と歌が記してある。川向こうの万九千神社にある磐座も昔は川洲に立っていたと聞く。地震よりは、昔は大社湾にそそいでいた斐伊川の洪水を恐れた名残なのではないだろうか、と考えたりする。ここから、武志駅に向かい電車に乗ろう。時間あれば、武志駅のすぐそばにある鹿島神社にも寄ると良い。
 終わりに、斐伊川は「ひいかわ」と呼び、「ひいがわ」とは読まないので、ご注意を。 

☆1日フリー乗車券1500円
一畑電鉄には全区間で1日乗り降り自由の乗車券があり、この乗車券に自転車の持ち込みが含まれています。自転車と共に何度乗り降りしても1500円です。なお、自転車1台の1回の持込み料は310円です。

この電鉄出雲市駅に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

大念寺古墳 35.483006, 133.105777
高瀬川起点(岩樋)35.496192, 133.096349
神立橋 西詰 35.369765, 132.782391
からさで大橋 西詰 35.374199, 132.779798
鹿島の要石 35.380731, 132.774939




いくつもの大きな石でできた石室の奥に石棺が見える

ライトに浮かび上がる石棺

ごうごうと音をたてて流れ出る豊かな水

高瀬川の起点 栗原岩樋

ひいかわは天井川で砂で埋もれている

砂州の模様も美しい

要石は1個で人の背丈ぐらいある

鹿島の要石