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旅伏駅

たぶしえき 

見る知る出雲エリア平成時代

 武志駅から電車に乗って旅伏駅に向かうと車内アナウンスが、川跡駅で大社行き、松江行きともにそれぞれ乗り換えで、旅伏駅に向かう松江行きは線路を渡って1番乗り場、大社行きは同じホームで2番乗り場と伝える。間もなく、乗っている電車は、他の色をした電車が2台並んで待つ川跡駅に滑り込んだ。こちらは自転車を抱える身だから、つい慌てて降りて構内の線路を渡って1番乗り場に向かった。


◎乗り換えのある川跡駅
 無事に乗り換えができた。それにしても、ホームに並んだ電車3台の色がみんな違う。乗って来たのはピンクで色出雲市駅へ引き返す、大社行きはクリーム色、松江行きは青色である。学生さんや地元の人、観光客などがそれぞれに目的の電車に乗る。私の他にも自転車を抱えた人が2人いた。私の乗った電車は美談駅を通って旅伏駅に到着した。小さなホームの小さな駅舎には。なにやら神話を描いた大きな絵が飾られていた。平田中学校美術部によるものだ。

◎大地を留める要石大神
 ここから旅伏山(たぶしさん)の麓にある木佐家の敷地内にあるという「要石大神」を目指す。国道431号線を横切ってから旅伏山の麓を左手方向、東へ向かう。何度か来ているが自転車で来てみると、ちょっと勝手がちがう。うろうろ探して、道路脇の畑の向こうに白い御幣が見えた。ここだ。畑の横から入ってすぐに、小さな鳥居があり、御幣をくぐって中にはいると右手に古びた建物がある。軒下を仰ぎ見ると要石大神とある。参拝をして、目の前にある格子を開くと、そこにも小さな鳥居があり、その向こうに岩が数個と丸い平石が積み上げられた小山がある。奥の岩が要石と思われ、軒下には由緒書きもあった。そこには、『出雲国風土記』に記載された国引き神話で、国土を大きくするために海の向こうから引き寄せた陸塊が再び動かぬように止めた石という。そのためこの村を国留と書くが後に国富になったという。
 また、地すべりする場所に、石を持ち帰ると「地すべりが止む」と意われるとある。要石には、土地を鎮めるパワーがあると信じられたのだろう。現在でも、地域の家の新築時には、丸平石を持ち帰り祀るらしい。

◎推古2年創建の大寺薬師
 次に目指すのは大寺薬師と青木遺跡であるが、途中に『出雲国風土記』の阿我多社、弥陀弥神にそれぞれ比定されている縣神社と美談神社があるので、そこにも立ち寄った。縣神社の本殿背後には荒神さんが祀られていて、両神社ともしんと静まり返った境内だった。
 美談神社からほど近い大寺薬師に到着、あらかじめお願いをしておいたからか、すでに宝物庫の扉が開いている。「こんにちは」と入って行くと、大きな仏像が何体も並んで壮観である。正面にはひときわ大きな薬師如来坐像が鎮座している。案内の方から「まず、仏像を紹介する録音を聴いてください。」と言われ、音声案内が建物の中に響く。この大寺薬師は推古2年(594)に智春上人(ちしゅんしょうにん)が創建し、奈良時代には行基が薬師如来像を刻んだと伝わっているそうだ。智春上人はこの北にそびえる山向こうにある鰐淵寺を同じ推古2年に創建したとされる人物でもある。それに行基も来訪しているとの伝承があるとは驚いた。
この薬師如来坐像は調べによると、平安時代前期の作ということらしく、行基のものではないようだが、顔立ちなどその存在感は力強い。両側には柔和な顔で目を閉じた日光菩薩立像、月光菩薩立像、そして観音菩薩1対の5体の国の重要文化財である仏像が並んでいる。
 さらに宝物庫の壁に沿って四天王立像が立っている。向かって左手から東を守る持国天立像、南を守る増長天立像、右手には北を守る多聞天立像、西を守る広目天立像が立ち並ぶ、どれもこれも今にも動き出しそうである。像の高さはおよそ180から190センチほどあって、仏教の世界を守る四天王らしく、その威圧感がひしひしと感じられる。この四天王立像も国の重要文化財である。

◎四隅突出墓があった青木遺跡
 青木遺跡は大寺薬師から真南に300メートルのところにある。国道431号線が改築工事されて上下線の二つ道路の間にある。平成13年から15年に発掘調査が行われ、今は埋め戻されているが、四隅突出型墳丘墓などの遺構が復元されている。
 中でも何本か柱跡が復元されている場所がある。これは奈良、平安時代の建物のようで、それも神社と考えられている。当時の治水工事には様々な地域から技術者が集まってきており、それらの人々のために、共に集団としての団結のためにも、新たな神社を作ったのではないか。と説く研究者もあり興味がつきない。同じ奈良、平安時代に祭祀に使われた神聖な井戸と思われる施設も復元されており、小さな神像や絵馬も出土している。また、文字の描かれた木簡や墨書土器も多数出土していることから、古代において重要な場所であったと考えられている。現地には、大きな解説板に出土物の説明がなされており、遺跡を紹介するパンフレットの入ったステンレスの箱も用意されている。この遺跡の東隣には山持(ざんもち)遺跡があり、楽浪郡で作られたと考えられる壺が出土しており、日本海を通じて大陸との往来が想像されたりする。
ここから再度、川跡駅へ向かうのだが、余力があれば南方に見える斐伊川土手を走って向かうと山裾に広がる田園風景を味わえる。

☆1日フリー乗車券1500円
一畑電鉄には全区間で1日乗り降り自由の乗車券があり、この乗車券に自転車の持ち込みが含まれています。自転車と共に何度乗り降りしても1500円です。なお、自転車1台の1回の持込み料は310円です。

この旅伏駅に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

川跡駅 35.395132, 132.776143
旅伏駅 35.421353, 132.807060
要石大神の前 35.422332, 132.800811
大寺薬師 35.409351, 132.788713
青木遺跡 35.405464, 132.787637




大社行き、出雲行き、松江行きそれぞれ異なる色と形の電車

乗り換えのある川跡駅

複数の石がある要石の手前に丸平石が綺麗な円形に積まれている

要石大神

左手に巻物、右手に筆を持つ表情はきわめて厳しい

西を守る広目天立像

小型の四隅突出墓4つのうちの4号墳が石積みの一部が復元されている

説明板の向こうに四隅突出墓