出雲を象徴する物といえば勾玉(まがたま)を思い浮かべる人は多いだろう。出雲大社の神門通りや松江にある勾玉などを販売するストーンショップが若い女性に人気で、勾玉作り体験も盛況と聞く。『古事記』ではスサノオと姉のアマテラスがお互いの気持ちを確かめる誓約(うけい)の場面に、スサノオがアマテラスの身につけていた勾玉のついた髪飾りなどを何度も噛み、吹き出した息の霧から男神5神が生まれ出たと記されている。
この勾玉の出雲における里といえば玉造温泉のある玉造である。『出雲国風土記』には市が立つ賑わいで入り乱れて宴を楽しむ。一度温泉を浴びるとたちまち姿が麗しくなり、再び浴びればどんな病気もすべて治る。だから土地の人は神の湯と言っている、とあり、今も昔と変わらぬ賑わいの温泉地である。『出雲国風土記』には、その温泉の描写の前に次のように記されている。「出雲の国造(こくそう)が、新任の際に天皇の長寿や繁栄を祈る神吉詞(かんよごと)を奏上するため朝廷に参上する時、心身を清めて天皇の弥栄を祈るための玉を作る地である。」と。
玉造には『出雲国風土記』に玉作山、玉作川、玉作湯社など玉作にちなむ地名があり、古墳時代後期の日本における一大玉産地だった。当時の玉とは、めのうや碧玉で作られた勾玉、水晶製の切子玉など。さらに碧玉の細長い管も管玉(くだたま)と呼ばれる玉だった。これらは糸を通して連ねられて首などに下げたものと思われる。色は、碧玉は緑色、めのうは緑や赤などカラフルである。出雲大社境内からも拝殿南側から花仙山産のめのうを使った4世紀の勾玉が出土している。勾玉はキラキラと透き通った赤い色をして神秘的で美しい輝きを放っている。
玉造温泉の温泉施設ゆ〜ゆの西側の丘に上がると出雲玉作史跡公園がある。国指定史跡となっており、昭和40年代の発掘時に約30棟の住居跡や玉作り工房が見つかった。集落は古墳時代前期から平安時代までの約700年間営まれていたことがわかっており、集落跡は再現され、工房跡は覆いをかけて保存され見学できる。また多数の玉関係遺物も出土し、玉を作った工具として花コウ岩や砂岩の砥石や穴を開ける鉄製ドリルなども見つかった。勾玉をどのようにして作ったのかなども含めて、それらは公園の西側にある資料館に展示されている。
この資料館から北に見える山が、めのうが採掘されていた花仙山である。その標高200メートルの山中に、めのうの岩脈が見学できるめのう公園があるというので行ってみた。めのう公園駐車場に車を止めて散策道を100メートルほど歩くとトンネルがあった。中に入ると照明が自動的に点灯し5メートルほど奥に入ると格子があり奥は暗いが、しばらくしたらここにも照明が点いた。採掘の横穴だったのだろう、奥の割れ目に暗い緑で黒い部分もある幅20センチぐらいの脈が天井右のほうへ伸びている。これがめのうの岩脈である。花仙山は約1500万年前に陸上の火山から噴出した安山岩溶岩の山である。その溶岩中の割れ目などの隙間に地下水に溶けていたケイ素が沈殿してめのうが作られたという。
花仙山では多くのめのうが採れたようで、麓を流れる玉作川沿いには出雲玉作史跡公園の他にも約30ヶ所以上の玉作り遺跡が発見されている。
その玉作川を遡り温泉旅館を外れると直ぐに玉作湯神社がある。ここには玉作の祖神とされる櫛明玉神(くしあかるだまのかみ)が祀られている。近年、本殿右手にある願い石で、叶い石の玉を願い石の上に置いて祈ると願いが叶うといって若い参拝者にとても人気がある。
さて、勾玉は一体なにを意味するものだろうか。これについては、様々な研究者が言及して来ている。勇ましい獣の牙を形どったものそれを身につけることで、護符としたとする考え。また、航海の方角や潮の満ち引きに関係深い月の象徴で呪的護符とする考え。胎児の姿を模したものとする考えもある。民俗学者の折口信夫は霊魂の貯蔵所の一つと言っている。他には勾玉のおたま杓子のような形は北斗七星であるという興味深い説まである。この勾玉の意味については到底結論は出ておらず、ぜひ勾玉巡りをする機会があれば、想像をふくらませていただきたい。
神社から玉湯川を200メートルほど下った川の中に、勾玉の形をした島があって、そこに大きさ30センチぐらいもあるめのうの原石が置かれてる。つやつやした原石に触ることができる。玉湯川の水がかかると一層瑞々しく光る様は魅力的である。
この出雲の宝物「まがたま」に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。
玉作湯神社 35.413692, 133.011699
出雲玉作資料館 35.417524, 133.013455
めのう公園駐車場 35.422372, 133.012205
玉湯川のめのう原石 35.415708, 133.009730