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縄を手繰る姉妹神

なわをたぐるしまいかみ 

見る知る安来エリア平成時代

安来節で有名な安来市の南方に広島県と堺を接する山々が連なっている。そのあたりに牛馬の神を祀る縄久利神社がある。世界で一番美しい庭園と称される足立美術館を過ぎ、戦国時代に毛利元就と中国地方の覇権を競った尼子一族の居城があった月山富田城を見上げながら、南をめざす。行き着いた山奥の比田(ひだ)という地区を東比田に向かい、比田温泉を横目にさらに東へ向かう。


 道案内に従って集落を通り過ぎ、林の中を進むと左手に鳥居が見えた。鳥居の横には縄久利神社と刻まれた大きな碑がどーんと座っている。鳥居の奥に目をやると次の鳥居が見え、進むと拝殿前の石段の左側にしめ縄を張った岩がある。境内は広い、高齢の男性と家族と思われる壮年の女性がやって来て、境内の右手奥の方へ向かい、建物の陰に消え、柏手を打つ音が響いた。そちらの方には大きな牛の像が台座の上にあって、本物の牛ほどの大きさの銅像が横たわっている。それを見上げていると先ほどの二人が帰って行った。縄久利に参らず向かった先は何なのかと行ってみると、赤い鳥居のお稲荷さんがあった。牛馬ではない何かのお参りだったのだろう。境内には、他にも幾つかの祠があって、古くからの社である縄久利神社に合祀されてきたものと思われた。
 この本殿の後ろ側に石の柵があり、その石柱一つ一つに神田八畝六歩、山林一反五畝、金六百圓など多くの人々の信仰の跡が彫り込まれていた。
 牛の像とは反対側に向かい境内から舗装道路に出る。この上の方へ曲がりくねった登り坂の道路を300メートルほど進むと右手に本宮の鳥居があって、少し手入れのされた山道が奥へと続いている。草を踏みしめて歩くと、しばらくして大木のある林の中の道となる。急な山道の枯葉を踏みしめる足元ばかりを見て歩いていると、突然眼中に石段が現れた。見上げると、はるか上に社のようなものが見える。石段は荒削りな上に急勾配で、それを這うように登る。石段が終わると眼前に社が建っており、背後には大きな岩山が迫っている。これが縄久利神社本宮である。
 縄久利神社にはこんな伝承がある。「大いなる山の神である大山祇(オオヤマツミ)神には二人の娘がおり、姉をイワナガヒメ、妹をコノハナサクヤヒメといった。(この二人は、『古事記』や『日本書紀』では天孫ニニギノミコトの后を巡る話にも登場する。)妹は眼の悪い姉を連れて、この地に至りここに居を定めたが、妹は姉のためにさらに良い場所を求めて縄を引いてさらに東にある大山(だいせん)に向かった。しかしどうしたことか、いつしか縄が切れてしまっており、姉のイワナガヒメが縄を繰っても繰ってもなんの手応えもなくなっていた。」と伝わり、このことから縄繰(なわくり)と呼ぶのだそうだ。この山頂には本宮の他に、イワナガヒメを祀る鼻繰神社や牛との繋がりが連想される牛飼姫命を祀る籠岩社があるという。本宮の背後の大岩を右の方へと回り込むと、山頂はもう少し上のようだ。登りやすそうな岩と岩の間を見つけて取り付いて上がると、岩山のてっぺんには、今にも朽ち果てそうな小さな祠があった。その賽銭箱に鼻繰社、磐長姫命(イワナガヒメノミコト)、熱田社、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と墨書され、その下には牛の鼻に付けるピンク色をしたプラスチック製の鼻輪が数個あった。鼻輪は牛を引くための縄を付ける道具で、鼻ぐりとも呼ばれ、子牛の時に左右の鼻の穴の間にある薄い部分に穴を開けて通す。引かれると鼻が痛いので牛が縄の引かれる方に進むものだそうだ。ここには、「この地に留まったイワナガヒメが牛飼姫命として鎮まった。」という伝承もあるという。また、この山は現在、飯盛山であるが、古地図に「汝来山」とあって、ナクリ、ナタリと読むようである。名称の由来が複数あって解けていない。
 鼻繰神社を東の方に少し下ると牛飼姫を祀る籠り岩があった。覗き込むと岩窟の奥には陶製の白くつややかな馬の像が置いてあって、牛ではなくて馬であることに違和感があって調べてみたら、その昔に麓の村で年末積雪のあるとき火事があり、その時に逃げ出した馬が、春になるまで見つからず、ある時山中のいななきを狩人が聞きつけて山に登ってみると、この籠り岩の中に元気な馬の姿があった。という伝説があるとのこと、まさに牛馬の守り神。
 また、この山の八合目あたりで頂上に向かう山道から左へ枝道がでており、それを100メートルほど進むとポツンと小さな祠が取り付いた大岩がある。この岩からは水がポタリポタリと滴り落ちていた。この水は年中岩の頂きから湧いており、これを護符池と呼んで、その水に山の笹を浸して持ち帰り牛馬に与えると乳不足の場合には最も霊験あらたかである、と伝わっているそうだ。麓の本社の境内にある護符池は、これを遷したものかもしれない。
 さて、縄久利神社では毎年4月24日には古伝花傘神事が執り行われる。この祭りには、本社の例祭と本宮の牛飼姫命にまつわる祭があり、例祭を終えると神事の一行は本社から飯盛山の山頂まで上がり、牛飼姫命を御霊代に遷して下向し本社に帰って、牛馬守護の賑やかなお祭りが繰り広げられる。
 中世末には縄久利権現と呼ばれていたことから、大山にあった修験道の流れが、縄久利にも及び女神を祀り、大山と同様の牛馬繁栄の信仰を担ったのではないかとも考えられている。籠り岩の前の大岩の上に立つと、手繰っても手応えのない縄が伸びた先の大山を遠くに望むことができる。

 

この「縄を手繰る姉妹神」に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

縄久利神社      35.253298, 133.205431
本宮への鳥居     35.254229, 133.206843
本宮、鼻繰神社 35.254509, 133.208711




どっしりと伏せた牛の姿が安心感を漂わせる

牛馬信仰の牛の像

ゴツゴツしていて狭い危険な石段が続く

石段の上に本宮

本宮の上の大きな岩がごろごろした上に立つホコラ

頂上の鼻繰神社

岩の上からポタポタと水がしたたっている

大きな乳岩