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古志から来た技術集団の痕跡

こしからきたぎじゅつしゅうだんのこんせき 

見る知る出雲エリア平成時代

『出雲国風土記』に「伊弉那彌命の時、日淵川に池を造った。ちょうどその頃、古志の国から人が来て堤を築いた。その時、彼らが宿としていたところである。だから古志と地名が付いた」という記述がある。『古事記』にはオオクニヌシが高志の国へ行きヌナカワヒメを娶ったという話があるが、これらなどから出雲と北陸との交流の様子が偲ばれる。出雲には今でも古志という地名の場所残っており、そこには比布智神社があるという。


出雲市下古志にある比布智神社に行ってみた。小高い鎮守の森の中に、大きな本殿があった。祭神はイザナミ、イザナギの夫婦神など。その本殿の左横に二つの丸い石が並んであった。これは陰陽石と呼ばれており、解説によると比布智神社の元あった天ヶ淵(あまがふち)あたりにあって、比布智神社への道を示す標石だったようである。また、干ばつの時に雨乞いをするとたちまち雨が降ったらしい。
比布智神社について、江戸時代に書かれた『雲陽誌』で比布智神社の由緒を調べた上で、地元の人にも聞いてみた。天ヶ淵を流れる川は、今は保知石(ほじし)川とよばれており、その上流で日淵川と花月川(芦谷川)とが合流しているという。また、『比布智神社史』によると、日淵川の上流には、鏡淵と呼ばれる場所があり、この鏡淵のことを日淵とも言い、人々はイザナナミが自らの姿を写した神鏡とも言い伝え、社号もここから起こったという。これは、ひょっとして『出雲国風土記』に記される日淵川に造った池かも、と想像してみたくなる。
地元の人に鏡淵を書き込んでもらった地図を持って現地を訪ねてみた。日淵川の上流にある2軒の家から100メートルほど、山道を歩き入ると右手下の方にせせらぎの音が聞こえてきた。下を覗き込むと20メートル下ぐらいにキラッと輝く水面が見える。淵へ降りる道とおぼしきところを少し下ってみると、直径4メートルほどの淵が見える、そこへ上流から水が流れ込んで水音を響かせていた。もう少し水量が多ければ、この水面は倍ほどの大きさになると思われた。イザナナミが姿を写した神鏡と伝わるロマンチックな場所である。そして、ここから直線で約800メートル下流にある橋の掛かった場所が、天ヶ淵と伝わるところだ。確かに谷が狭くなっている。ここが、比布智神社境内にあった陰陽石が元々あった場所なのだろう。雨乞いによって、この谷の上流に黒雲が湧き、先ほどの鏡淵も溢れる水が流れ下ったのだろう。
さて、『出雲国風土記』の比布知社に比定されている比布智神社が、もともと鎮座していたのはどこなのだろうか。『比布智神社史』は芦谷山とだけ伝えていて詳細は分からない。ただ、花月川(芦谷川)の上流に蘆谷の瀧という名前が、地図に書き込んであったので、車を走らせてみた。この先通行禁止に行き当たり車を止めて歩き出すと、すぐに道から朽ちた鳥居が見え、蜘蛛の巣を払いながら向かっていくと、滝の水で光る大きな岩壁に行きつく。滝は高さ20メートルあまりあって、高く大きな一枚岩の絶壁を伝って一筋の白滝が流れ落ちている。絶景だ。この滝の周囲が芦谷山なのだろう。この滝は現在では信仰の対象にもなっており、毎年6月に祭礼があると聞いた。
『比布智神社史』は天ヶ淵が、風土記にいう日淵川の築堤の場所と伝える。しかし、古代の堤は、こうした深い谷でなく、さらに下流の、現在は阿弥陀堂のある妙見神社跡地のあたりではないかとする研究者もある。古代に堤を造るなど水を制する土木技術は、稲作を広げていくためには欠かせない高度な技術であった。古志はその技術集団が越から来て定住した場所だからだろうか、『出雲国風土記』には、古志のある神門郡に宇加(うか)池、来食(くぐい)池など4つの池を示している。これらは、築堤された池とも考えられている。いま、宇加池の堤防跡は住宅街の中にあるが、池の土手を感じさせるものである。
『出雲国風土記』には、先の古志の人たちの中に、佐与布(さよふ)という人がおり、最邑(さよふ)という地名が付いたという話が載っており、その人の墓と伝わる古墳もあった。狭結驛(さよふのうまや)があった神門郡家跡と考えられている古志本郷遺跡の近くで、それはまた、宇加池にもほど近いところにあった。宝塚古墳である。この辺りは古代に出雲と越の国の交流を感じさせるロマン溢れる地域である。

この古志から来た技術集団の痕跡に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

鏡淵  35.305742, 132.717368
天ヶ淵 35.312648, 132.717931
蘆谷の瀧 35.307107, 132.720476
妙見神社跡地  35.322241, 132.718592
宇加池の堤防跡 35.334013, 132.743421
宝塚古墳 35.339010, 132.733282




ひふち神社本殿の傍にある二つの丸石、大きい方は直径1mぐらい

雨乞いの陰陽石

岩に囲まれた池となっている

木漏れ日の中の鏡淵

わずか5m四方ではあるが盛りがった堤防跡

宇加池の堤防跡

墓所に隣接した林の中に大きな石を積んだ石室があり、中に石棺も見える

石室のある宝塚古墳