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みさきうみねこ海道を日御碕へ(1)

みさきうみねこかいどうをひのみさきへかっこいちかっこ 

見る知る出雲エリア平成時代

 出雲大社から日御碕へは、険しい海岸沿いのグネグネとした道、みさきうみねこ海道を行く。昔は稲佐の浜から因佐神社近くの観音霊場長谷寺の脇から山に入って、そのまま山伝いに歩いて日御碕へ行ったという。その道は中山道(なかやまどう)と呼ばれ、日御碕神社への参詣道でもあって、松江藩主が籠に揺られて行き来するため、山道にしては広い道だったという。


 そんな時代を経て自動車が登場すると、大正12年に6つのトンネルをくり抜いて海岸道路が完成し、2年後には定期バスが通うようになった。稲佐の浜から間近に見える大社漁港は、昭和8年から5年かけて建設された。地元では築港(ちっこう)と呼ばれている。美味しいブリが有名な港だが、最近は大型のサワラも上がっている。美味しいブリしゃぶを真似て脂の乗ったサワラのしゃぶしゃぶも食べられるようになった。その築港の西の脇に二つの島があって、島の沖に落ちる夕日の景色が美しく出雲二見と呼ばれた名所だったそうだ。別名は笹子島(ささごじま)。その島の上にある笹子トンネルを抜けたところに、雲見灘という石ころの小さな浜がある。稲佐の浜から日御碕の海岸の景色を唄った「島物語り歌謡」には、龍神が雲見灘に乗り上がって雲を見初めた場所とある。出雲地方にある雲見滝、雲見峠という場所は雨乞いの場所と言われているが、ここもそうかもしれない。
 この雲見灘と笹子トンネルの西口との間の海側には鰐淵穴(わにぶちあな)がある。この大きな穴は約8キロメートル離れた鰐淵寺とつながっていると伝わる。さらに笹子トンネルの西口の海側の岩壁には、斜めの筋が何本も見られるのだが、それは地層の表れではなく、地殻変動の時に岩盤と岩盤が擦れてできた傷の跡という。それを「擦痕」といい、岩が擦れて窪み表面が擦れることで滑らかなになっている。幅が20メートル以上もあって、これが一気にズレるような地殻変動があったのだろう、大地がどれほど揺れたのだろうか。
 笹子トンネルの次のトンネル、赤石トンネルを出たところに、小石の浜と平たい岩場の広がる ひろげの浜がある。その地名の由来が地元に伝えられていて、「この浜は日御碕神社の経島の両にある“書きもの”や“経・文書”などを持って来て、この浜で読んだことにより“ひろげの浜”と呼ぶ」(ひろげ遺跡:大社町教育委員会)とのこと。浜の北側の山中では、ひろげ遺跡という祭祀跡が発掘されている。この浜は釣り人も多いが、貝採りなどの磯遊びにもってこいの場所でもある。
 ひろげの浜から100メートルほど西側の枕ガ鼻という崖の上に、なにか文字が刻まれた小さな石碑が立っている。まだ海岸道路が無く船が重要な交通手段だった大正時代に、沖を行き交う船の休憩所として「おゆう」という女性が営んだ茶屋の跡という。とても人気があって有名だったので、昭和35年に有志が建てたものという。どのような女性だったのだろう。


 このみさきうみねこ海道を日御碕へ(1)に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

出雲二見(笹子島)  35.403530, 132.663771
大社断層の擦痕 35.405829, 132.662673
鰐淵穴         35.406215, 132.661925
雲見灘 35.406562, 132.661989
ひろげの浜       35.412495, 132.648796
ひろげ遺跡       35.412815, 132.649932
おゆうの茶屋記念碑 35.413346, 132.648077




大社港から見た出雲二見、島の向こうに夕日が沈む

出雲二見浦の笹子島は左側の2つ

雲見灘の右の大岩が龍に見えるのかな

中央部分が雲見灘

日御碕方向へ、美しい海岸風景

ひろげの浜

ひろげの浜や沖行く船がよく見える

おゆうの茶屋記念碑