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国譲りの神話のふるさとか

くにゆずりのしんわのふるさとか 

見る知る安来エリア平成時代

天石楯(あまのいわだて)。安来市にある岳山(だけさん)山頂付近まで登ったところにある嵩神社の右背後の高みに岩が見える。これが天石楯と伝っている。この楯を高天原から持ち降りられたのは布都怒志命(フツヌシノミコト)で、この地で楯を縫い直したところだから楯縫(たてぬい)という、と『出雲国風土記』は意宇郡楯縫郷の地名由来を語る。


岳山への道は二つあり、一つは用明天皇2年(587)尊隆上人によって開かれたとされる清水寺から登るコース。もう一つは、冬に白鳥が飛来する能義では平野の東端にある雲樹寺からの道である。今回は雲樹寺から向かった。雲樹寺から岳山の登山口まで歩いて約10分、そこから嵩神社までは約30分である。この登山口からしばらくは、雲樹寺から清水寺に続く清水道と呼ばれる古道を歩く、途中に道案内の立て札が立っていて分かりやすい。
途中に嵩神社という別れ道の案内があり、そちらの方へ向かうと、しばらく竹やぶが続くが坂を登り始めると樹林の中を進むようになり、まもなく鳥居が見え嵩神社となる。平成23年に遷宮されており、木の香りがしそうな新しい本殿があった。祭神はフツヌシノミコトである。本殿の屋根には、亀甲紋の中に二つの劔(つるぎ)の交差する神紋が金色に輝いていた。フツヌシの名前は、刀剣で物を切る時の「プツリ」という音と言われている。フツヌシは『日本書紀』にのみ登場する神であるが、出雲の国譲り神話で、武甕雷命(タケミカヅチノミコト)と一緒に稲佐の浜に天下り、オオクニヌシに国譲りを迫った神として知られる。『古事記』では、タケミカヅチの持つ劔を佐士布都神(サジフツノカミ)と呼んでいる。このことから、フツヌシは劔の神と言われているのかもしれない。『常陸国風土記』に登場する普都大神(フツノオオカミ)は、芦原中津国を巡り歩いて、山河の荒ぶるものたちをやわらげ平らげたとされる。この『常陸国風土記』では、フツノオオカミが甲(かぶと)、戈(ほこ)、楯(たて)、剣、玉を身につけていたとされている。
嵩神社の右後方の高みに白い御幣が見え、その上に大きな岩がある。神社の背後からそこへ登って行くと、平たい岩が立ったような、まさに楯のような岩があった。高さは背丈ほどある。これが天石楯である。『日本書紀』にあるフツヌシの両親は、磐筒男(イワツツノヲ)神・磐筒女神であり、岩にちなむものでもあるようだ。
この天石楯から山頂へと少し登ると、この岳山からは木立の間からではあるが、中海が見えた。後から地図で確認すると、岳山からは北に中海、西に能義平野を望む場所であり、その中海と能義平野を結ぶ古道が麓を通っていることから、古来より海と山を結ぶ重要な場所であったと思われた。西にある伯太川をはさんで向かいの山々のある上吉田・下吉田・柿谷などの地域は、フツヌシが国巡りをしていた際に発した言葉から山國(やまくに)郷と付いたと『出雲国風土記』は記している。
中海と岳山の間は門生(かどう)という地域である。ここには、出雲国造の祖先にあたる天穂日命(アメノホヒノミコト)の墓と伝わる神代塚古墳がある。今は岩屋と呼ばれ、鳥居がある。そのすぐ横に古墳時代の石棺を紹介する展示館、いにしえ横穴学習館があり、平日は中が自由に見学できる。
この地域は、『出雲国風土記』が記す屋代郷にあたり、天穂日命にお伴する神々が遣わされたとされている。『出雲国風土記』には国譲り神話は描かれていないが、現在の出雲大社のある出雲地域ではなくて、この安来の地に古志の国から帰って来たオオクニヌシの姿があり、その周りに国譲りに関連する神々の姿が見えるのは不思議な感じがする。


いにしえ横穴学習館
開館日  毎週土・日・月曜日及び祝日
開館時間 9時―16時
その他の曜日などに開館を希望する場合は、安来市教育委員会文化財課(電話:0854―23―3240)へ連絡する。


この 国譲りの神話のふるさとか に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。


雲樹寺        35.394592, 133.267212
岳山の登山口     35.398207, 133.272658
清水道から嵩神社別れ 35.397494, 133.280825
嵩神社        35.395667, 133.284556
岩屋         35.405458, 133.318202




社殿の右後方にある山肌の上のあたりにある

嵩神社の右奥にある天石楯

六角形の亀甲紋の中で、二つの剣がクロスしたデザインである。

本殿屋根にある剣の紋

元は大きな一つの塊だった岩がぱっくりと割れた感じの岩

天石楯

たたみ2畳ほどもあろうかという平たい岩が、数個の石で支えられ横たわっている。

門生にある岩屋