(1)のおゆう茶屋記念碑から西の海に目をやると、直線で100メートルほどのところに展望台が見える。その日御碕海岸展望台に行くと、右手遠くに稲佐の浜が見える。また正面遠方には、国引き神話にある陸を引いた綱を掛けた三瓶山、またその綱の跡と伝わる園の長浜の白い砂浜が、細長く緩やかに曲がりながら稲佐の浜へ続く姿が美しい。
この展望台から右手に200mほどのところに筆投島(ふでなげじま)という三角の形をした島が見える。この島には、平安時代に画聖と謳われた巨勢金岡(こせのかなおか)がこの島を描こうとしたという。その際、松を描くと島が描けず、島を描くと松が描けず、とうとう朝夕に変化する美しさを描ききれず筆を投げたといわれている。枝ぶりの良い松があったようである。日本的な海岸風景といえば、砂浜にも岩場にも松が似合う。しかし、この島根半島では松食い虫によって多くの松が枯れ、姿を消してしまった。今の筆投島には若い松が成長している。この筆投島の手前の崖下に鯨石がある。これは江戸時代、この近くに松江藩の鯨方が設けられて鯨漁をしたほど、鯨がやって来ていたからと思われる。地元の話では、明治30年ごろのある日、一頭の鯨が先の鯨石に流れ着き、出雲大社あたりの人たちまでもがナタや包丁を持って来て、肉を切り落として持ち帰ったという話も伝わっている。この筆投島の先にある黒田浜の前にも小さいが鯨島があり、稲佐の浜の弁天島のすぐ近くに、今は砂に埋まってしまった鯨島がある。稲佐の浜から日御碕までに鯨という名前のついた場所が合計3つもあるわけだ。
さて筆投島の西方遠くに、海岸から少し離れて大きな石を数個積み上げたような島が見える。これは稲佐の浜でオオクニヌシに国譲りを迫ったタケミカヅチとオオクニヌシの息子であるタケミナカタが、力比べに大岩を投げ合ったものと伝わる。両神の力が互角で、それぞれが投げた大岩が同じ場所に積み上がったものという。名前は礫島(つぶてじま)である。岩の一つ一つの大きさは10メートルほどもありそうで、神々の力くらべはダイナミックである。
筆投島から日御碕へ2キロメートルほど車を走らすと東屋と駐車場のある展望デッキがある。ここからも礫島が見え、三瓶山もよく見える。その三瓶山の裾野の海岸にも、先の二神の力くらべの岩が飛んで行ったという伝説もあり、磯島(いそじま)という名で、大社湾を背景にして、二つの大岩が並んでいる。道の駅キララ多伎から西へ1キロメートルほどにある小田海岸という石の浜にある。
先に話題にした黒田浜の鯨島は、この展望デッキの右手下の方にある。浜まで降りたら、鯨2頭が仲良く沖へ向かって泳いでいるように見える2つの岩がある。鯨島は沖側の島という。地元の方に聞いたが、由来は分からないとこのことだった。
このみさきうみねこ海道を日御碕へ(2)に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。
筆投島 35.415153, 132.644957
礫島 35.415746, 132.638505
黒田浜の鯨島 35.418186, 132.631139
小田海岸の磯島 35.285296, 132.622212