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珍しい一つ物の神事

めずらしいひとつもののしんじ 

見る知る松江エリア平成時代

島根半島の東部にある千酌(ちくみ)という地区で、流鏑馬の神事があるというので、勇壮な馬の疾駆が見られると思い行ってみた。祭りは、奉幣を振る行列が悪魔を払い、安全と豊作大漁を祈願して村内を歩き、神事の終わりには馬に乗った騎射が3つの的に矢を射た。しかし、流鏑馬の馬は観衆の取り囲む神社の前をのんびりと歩き、いたってのどかなものであった。最後に祭りの余興として、馬の疾駆がわざわざ披露されたのだった。


この祭りは、毎年4月3日に爾佐神社の例大祭の一環として行われ、寛永13年(1636)の爾佐神社略社記にも載る祭りという。流鏑馬の神事は午後2時ごろからとなっているので、神幸の出発する祭りのヤド(頭屋)に行ってみると、そこでは、大勢の祭り関係者がご馳走とお酒をいただいている。これは、その日の午前に行われた例大祭の直会だという。頭屋は祭当番として10戸の家が輪番でつとめているという。時間が来ると表へ出て来て順番に並んで頭屋を出発するため、慣れない若者は年配者から順番を教えてもらったりしている。お酒も入っているので、皆さんはいささか上機嫌である。この日のヤドは神社からは150メートルほどであったため、村中を歩くという感じではなく、あっと言う間に神社に着いてしまった。
行列は祭りに集まった村人たちの間を通って境内に入る。するとほどなく、鳥の羽根(山鳥の尾)を持って行列していた男児が馬に乗せられて、行列が再び動き始める。今度は境内の西側脇から表へ出て、神社の向かいにある農協の建物を海の方へぐるりと回って、神社の鳥居に向かって帰ってくる。続いてやはり鳥の羽を手にした2人の女児が順番に馬に乗せられて、同様に周って海を背に鳥居をくぐって帰ってくる。
これが終わると、同じ鳥の羽根を陣笠に付けた騎者が馬に乗って鳥居を出て、神社の西の方へ向かう。騎者を乗せた馬は、神社の東側30メートルほどのところの電柱の近くでゆっくりと行って止まった。その電柱の前には、背広姿の若者が的を立てている。的は4メートルぐらいの青竹の先に的板がついている。的といっても丸印などの目印もない白木の50センチ四方程度の板である。的は松の板2枚を葛(かづら)で結んで作られている。2枚に別れているは、矢が的に当たって割れたことを意味しているという。
 元は勇壮な流鏑馬であったようだが、今は最初にも書いたように、馬はパカパカとのんびり歩いて先の的の前に止まり、馬上から矢を射るのだった。馬上からだから、的は騎者が弓につがえた矢先が届きそうなほどすぐ前にある。弓をひくと矢はカンと的に当たって道路に落ちてくる。それを、さっと拾う人がいる。この矢は縁起物らしい。3つの的への騎射は、1つ目が天下泰平、次が災厄払い、最後が五穀豊穣。その祈願と吉凶を占うもの。その1つ目の的が終わると、2つ目は鳥居の前の的にやって来て、同様に矢を放つ。3つ目の的は先の農協の建物の西側にあって、それに向かって矢を放つ。そして、騎射は馬を翻して鳥居前の厄災払いの的に戻って来た。今度は、矢を的ではなく空の方へ向かって放つ。危なくないようゆるく青空に向かってゆるく飛ばされた矢は、馬の足元に落ち、壮年の男性に拾われた。そして、また矢をつがえて、今度は地面に向かって射た。アスファルトの路面をカンと打った矢は、男の子がさっと拾って行った。そして、3本目は海に向かって弓を引いた、的から2メートルほど海側のところの道に落ちて、近くにいた少年に拾われた。こうして天地と海の3方向に矢を射て悪魔払いをしたのだった。
こうして流鏑馬が終わると、祭りに集まった人々の中から、幼児たちが差し上げられて騎者に抱きかかえられる。その馬に乗った様子を家族が記念写真に撮ると、また次の幼児へと、代わる代わるに馬に乗せてもらう。これも縁起を担いだ行事なのだろうか。鳥居の下では、これまた縁起物の破魔矢が無料で配られていた。
この祭りは、かつて「夷(えびす)退治の神事」と呼ばれており、その昔、この浦に渤海国(ぼっかいこく)から攻めて来たことがあり、それをこの社の祭神が神兵をもって撃退したという伝説によったものという。
また、祭りに登場した山鳥の羽を身に付けた幼な子を「一つ物」といって、神の依りしろとして行列の中心にすることが行われて来たという。「一つ物」になる者は、山鳥の羽根をつけて、馬に乗るのが決まりであった。山鳥の羽根をつけると悪魔が見えるという。これは、矢竹に山鳥の羽根を付けて、矢を作ることにも通うものがあったらしい。
「一つ物」の祭りは島根県内では、出雲市国富町の縣(あがた)神社などにあるが、極めて数少ない祭事だそうだ。
拝殿では、神事相撲が始まっていた。馬曳き役の若者2人が1勝1敗の相撲を取り、最後は勝負の付かない相撲とするのが決まり事。それによって豊作の卦が出たとする占いの神事である。1勝したら次は負けなければならず、また最後の勝負の付かない相撲を取るのに苦心するところがとても面白いのである。
鳥居の前では、子どもたちが乗り終わり曳き手もいなくなった馬が、神社の前を勢いよく2度、3度と疾走して見せて、祭りに集まった観衆からどよめきが起きていた。




行列は境内から海辺へ、そしてまた鳥居をくぐって境内へ帰ってくる

神社を巡る行列

馬上の武者の陣笠につけられた羽根が空に向かってピンと立っている

山鳥の羽根を付けた騎者

馬に乗る明るい朱色の着物姿で山鳥の羽根とかずらの枝を手にした女児

山鳥の羽根を持つ女児

馬上からすると的はすぐ近い

的板は二つに割れている