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古式ゆかしい御田植祭り

こしきゆかしいみたうえまつり 

見る知る出雲エリア平成時代

7月の梅雨明け前の日曜日、三瓶山の東に続く青々とした山並みの中に、細く続く田んぼが山に接するあたりある鳥居をくぐって、鮮やかな衣装で太鼓を抱えた人たちが長い石段を上がって角井(つのい)八幡宮の境内にやってきた。若い女性も何人か居て、多くは絣(かすり)の着物に赤い襷(たすき)を掛け、着物の裾から赤い腰巻がちらつく早乙女姿である。黒い礼服姿の年配者や子どもも集まって来て境内が賑やかになってきた。


「みなさん拝殿に上がって」の声があって、祭りの参加者も見学者も拝殿に上がる。拝殿に上がる階段には、踵部分に布が編み込まれた草履が並でいる。見上げた拝殿は神楽のための舞台もあって広い、宮司が奥の本殿へ昇る階段を上がって行き、オーという声とともに右の扉から開かれていく、ギギギ、ギーと大きな音をたてた。両の扉が開かれると、御簾があって、それもオーの声とともに静々と上げられて行く。神の坐す本殿が開かれた。
本殿を下がった宮司によって祝詞があって、氏子や祭りの囃子方の代表が、代わる代わる玉串が供える。早乙女が玉串を備え終わると、再びオーの声と共に御簾が下され、扉の軋む大きな音が響いた。すると、みな拝殿から境内に降りて御田植(みたうえ)祭りの支度をし始める。大きな太鼓を腹に取り付けた田囃子たちは、棒の両側に花を付けた太鼓を叩く桴(ばち)を持った。そして、この祭りの中心となる牛の代掻き役の2人は、20代の若者で、なにやら植物で作られた冠をかぶる。植物は針状の細く短い葉が茎にずらりと生えているので、細くて長い緑のブラシのように見える。これはヒカゲノカズラと呼ばれるシダ植物の仲間で、それがぐるぐると巻かれて冠のようになっている。それに小さな紙垂(しで)が二つ下がっている。2人の衣装はキラキラ光るチハヤである。拝殿からは、お供えしてあった長さが人の背丈ほどもある茅の束も持ち出され、氏子や子どもたちに手渡された。
この高台にある境内からは集落の点在する十数軒の家を望むことができた、その上の空には、梅雨の雲が広がっていた。
境内に降りて来た人々は、榊を持った神職を先頭に、ドウ太鼓8人と太鼓3人の田囃子、笛を吹く楽人2人名、牛の代掻き役2人、ご神体を持つ祭主(宮司)、早乙女8人、茅持ちの人々13人。総勢38人が「道楽」という道行の楽と共に本殿を時計回りにまわるのである。ドウ太鼓は桴(ばち)の両はしに色紙の花が付いており、これを拍子の間に高く投げ上げる所作があって、空に花の舞う様子が艶やかである。雨ならぬ楽の音が集落に飛んでいく。本殿を3度まわって楽が鳴り止むと、一行は境内の中央部の地面に引き描かれていた直径5メートルほどの丸い円の周りに並ぶ。その円の内に牛の代掻き役が入り、拝殿前に並んだ榊を持った神職と御神体を頂く宮司にむかって「ハラハラハラハラ」と声を上げて突進する。円の端に達すると止まり、無言で後ずさりして元に位置に帰り、再び「ハラハラハラハラ」と声を上げて突進する。この時、牛役の牡牛は人差し指を立てて耳のところに構え、牝牛は指を立てずに握って構えるのだそうだが、この日は、牡牛も牝牛も指を立てて構えて突進していた。この突進は、最初は神座に向かい、次は神座に向かって左から神座を横切り、次は神座を背にして、そして神座に向かって右から神座を横切る形、これで東西南北の四方に向かって行われたことになる。そしてさらに神座に向かって2回ずつ4度繰り返される。
これが終わると、牡牛にはドウ太鼓の桴が牝牛には太鼓の細い桴が渡されて、これを耳の代わりにして、先の所作と同じように「ハラハラハラハラ」と突進するのである。これに、周囲からは「まだまだ」とか「昔は、もっとヤジを飛ばしたぞー」とか声がかかった。全てが終わると、さすがに牛の代掻き役の若者たちの息は荒くなっていた。
かつて、この桴は牛追いの鞭に使われていたカメガラ(ガマズミ)を用いていたという。そして、祭りが終わると牛役の奉仕者がいただいて持ち帰り、豊作祈願として田の畦に挿したのだそうだ。
牛の代掻きが終わると、次は田植えである。手ぬぐいを姉さんかぶりした早乙女8人が、丸い円の中で、神座に向かって4人ずつ2列に並ぶと、田囃子が楽を奏で始め、サゲと呼ばれる女性たちが田唄を歌いだす。その拍子に合わせて、早乙女達は膝を曲げて手にした松葉を地面に置いていく。それも早乙女の並びと同様に4つずつ2列に置いて行くのである。
こうして華やいだ一幕も終わると、松葉の苗がある円の周りに、あの長く青々とした茅持った人たちが並び、紙垂の付いた茅を身体の前に立てて持っている。「これから虫を追いますよ」と言われたかと思うと、「えい!」と大きな声を出して、茅を地面に叩き付けた。「えい!」バサッ!「えい!」バサッ!と勢い良く叩きつけるので紙垂もひらひらと飛んで逃げる。十数度叩いただろうか、「はい!ええでえ、ええでえ」の声がかかると、拍手が起きた。
豊作祈願と邪気退散のしぐさが祭りを締めくくり、直会には、お神酒や洗米の他に、皆さんに赤飯(小豆飯)があった。杉の枝を削って作った箸で朴(ほう)の木の葉に赤飯を盛り、包んで渡された。家族に持ち帰る人もあるが、早乙女さん達など多くは、その場で頬張っていた。この日の早乙女さん達は、20代から30代の若い女性たちだが、角井集落から他へ嫁いだ女性や他の土地で生まれた孫という女性などが、この祭りのために帰って来て参加していたという。また、茅叩きは、昔は8地区から童が2人ずつ16人も加わって行ったというが、今回は2人だけであった。
さて、このお祭りは予祝行事と考えられている。予祝とは、農産物などの豊穣を祈って、あらかじめ模擬する行事をいう。模擬とは、このお祭りの神聖な牛による悪魔払い、松葉による田植による豊穣祈願、茅による虫除けなどである。また、境内にあった丸い円は相撲の土俵とも考えられている。相撲は、もともとは素舞であり、力強い足踏みによって悪霊や荒魂を鎮め追い払う呪術宗教的な儀礼と考えられており、この土俵の円にもそうした願いが込められていると考えられる。




赤い房を両側に付けたバチがいくつも、楽に合わせて宙を舞っている

桴(ばち)が舞う道行

ヒカゲノカズラの緑の冠を被って、耳を表す太鼓のバチを立てた牛役

ヒカゲノカズラを被った牛の代掻き役

なんどもしゃがんで緑の松葉を置いていく早乙女たち

早乙女の植える松葉の苗

苗の松葉が置かれた円の周りから、長い茅の束を地面に叩きつけている

茅で叩いて邪気退散