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神様が沐浴した泉

かみさまがもくよくしたいずみ 

見る知る奥出雲エリア平成時代

『出雲国風土記』には、オオナモチ(オオクニヌシ)の息子のアヂスキタカヒコ(阿遅須枳高日子)命が、髭が長々と伸びる年齢になっても、昼も夜も泣いてばかりで言葉も通じなかった、とある。これは、『古事記』や『日本書紀』に登場する垂仁天皇の皇子であるホムチワケが、大人になって髭が胸先に達しても喋らず(『古事記』)、赤子のように泣いてばかりであった(『日本書紀』)という物語とそっくりである。


その後、出雲大神の祟りではないかと占われ、ホムチワケが出雲に参拝すると言葉を発した、という筋書きになっている(『古事記』)。『古事記』・『日本書紀』では、スサノヲも大人になっても泣いてばかりであったとしており、出雲にまつわる一連の神話として、とても興味深いものである。
さて、こうした子を持つ親の心配はどれほどだろうと察するが、この御祖(みおや)のオオナモチは、御子を船に乗せて数多くの島々を巡り、気持ちを楽しまそうとしたが、それでも泣き止まず、次には夢の中で「御子が泣くわけを教えてください。」と祈願したところ、その夜の夢で御子が、言葉が通じるようになったことを見た。目覚めて御子に問いかけたところ、御子は「御澤」と言った。そこで、オオナモチは「どこをそういうのか。」と尋ねたところ、御子は、そこを立ち去って行き、石川を渡り、坂の上に至って留まり、「ここです。」と言った。その時、その沢に水沼が現れ出て、沐浴をされた。という。それが今、奥出雲町の三沢城跡のある山中にある三沢池だという。
三沢城跡の登山口に行って見ると、みざわの館という古民家をリフォームした立派な建物で、宿泊もできる施設があった。受付で三沢城跡の事を聞くと、「頂上までわずか300メートルほどで、すぐそこです。」と言われるので、登山と言うには、あまりにも近くて拍子抜けした。
登山口を登りだしたら、100メートルも行かないぐらいで大手門石垣についた。その先が三沢池への分かれ道となっており、こちらも100メートルも行かないで池に着いた。
池には垣根が設けられて注連縄が張られ屋根も付いていた。ここが、「御身沐浴(みみそそ)ぎ坐しき」と『風土記』に見える池とされ、今では、若返(みおち)の霊水ともいわれて若返りの聖水となっており、水を飲むための柄杓も置かれていた。澄んだ水をとおして池の底まで見え水が湧いているようなのだが、池の縁から水が溢れ出ていなかったので、湧いていないと思えて、水を味わうのは断念し、冷たい水で手を濯いだ。昨今のパワースポットブームで、この池に入ろうとする人もいるのか、木製の垣根まで設えられたようだ。
せっかくここまで来たので頂上まで上がってみた。するとなんと眺めの良いところだろう。北側の山並みの向こうに島根半島までも見える。そして出雲大社の背後にある弥山(みせん:標高506m)が見える。弥山の左麓に出雲大社、右麓にはアヂスキタカヒコを祀る阿須伎(あすき)神社があるのである。その右手前に見える山はスサノヲを祀る須我神社の奥宮がある八雲山である。なんという組み合わせなのだろう。先の神話に関係する神々が揃っていることに驚いた。
一方、南は中国山地の連なりを一望でき、この日は雲で見えなかったが、大山まで見えるようだ。スサノヲがその麓に降り立った船通山もくっきりと見える。ここ三沢城跡は、尼子、毛利に仕えた戦国武士の三沢氏が1305年に築城した居城跡というが、このパノラマの眺めからすれば、古代より要衝の地であったと思われる。
アヂスキタカヒコを祀る神社として、三沢の町に三澤神社があるが、その本宮とされる高森神社が、登山口の近くにあると聞いていたので、帰り道に登山口の大きな看板のあるところで草刈りをされていた住民の方々に尋ねたら、「そこのカーブの先の家の畑の横から上がれる」とのことだったので行ってみた。犬のいる家の横から2メートルほど上の畑に上がり、その畑の奥の林の中を進むと、すぐに左手に石段が現れたので、これか!と思い、囲ってあるイノシシ除けの柵を開けて20段ほどの石段を登った。すると明るい空き地があり、その向こうに鉄製らしき鳥居が見えた。鳥居で拝礼し奥へ進むと正面に丸みを帯びた石碑があり、目を近づけてみると高守大神と刻まれていた。
町にある三澤神社で、遷宮の祭の準備をされていた宮司さんに高森神社のことを聞くと、「12月に本宮の例祭をする」とのことだった。また三澤神社の本殿のご神体が出雲大社と同様に西向きだとも教えてもらった。オオナムチ(オオクニヌシ)の御子だからだろうか。
先のアヂスキタカヒコがオオナムチを伴って三沢池まで来た『風土記』の物語は次のように続く。出雲国造が代替わりする折りに、天皇の前に赴いて出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)を奏上するが、この三沢池でアヂスキタカヒコが沐浴をしたので、国造が出雲を出立して都へ向かう途中、三沢池に立ち寄り、禊として沐浴する。また、妊婦はこの三沢の米を食べない。もし食べたら子どもは生まれながらにしてものを言う。だから三澤という、とある。ここ三沢は、物語といい景色といい、出雲と深いつながりがありそうである。


この 三澤池 に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

三澤池   35.204469, 132.964030
三澤城趾  35.203810, 132.962582
高守大神  35.200652, 132.967576
三澤神社  35.205409, 132.974203




泉には屋根がかけてあり、頑丈そうな垣根も整備されている

三澤の池

弥山のある島根半島の山並みも見える

中央奥が弥山、左手前は八雲山

鉄の細い棒で作られた鳥居の奥に丸みを帯びた石碑がみえる

三澤神社の本宮、高森(守)神社

石碑に掘られた神社名が金色をして輝いている

三澤神社の入り口