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出雲大社遷宮の神輿で作られた神社とは

いずもたいしゃのみこしでつくられたじんじゃとは 

見る知る出雲エリア平成時代

先日、久しぶりに出雲大社に参拝した。今回は案内のガイドさん付きという初めての体験。説明を聞きながら回った中で、へえ、そうなんだと驚いたのが、本殿の東側の縁に小さな祠のような、神輿にしては簡潔な家型の物が置いてあるのだが、それが、遷宮の時に御神体を乗せた神輿だというのである。2013年5月10日の本殿遷座祭において、本殿と仮殿の間を遷座する御神体が乗った神輿である。


過去の出雲大社の遷宮の後に、この神輿をいただいて神社の内殿を作ったというところがあった。昭和29年に平田町久多見支所が発刊した「久多見村誌」によると、昭和28年7月15日に出雲大社からその年5月の遷宮の神輿2振をいただき、氏子全員が奉仕して出雲大社から平田の久多美にある玖潭(くたみ・地元では「くたん」ともいう)神社へ、およそ20キロメートルを徒歩行列して持ち帰ったことが記録されている。この時の神輿は、大きい方が境内社の天満宮内殿に、小さい方は境内社の金刀比羅神社内殿の材となされて今に至っているのだという。
また、郷土誌の「はやさめ久多見」には、出雲大社との縁故浅からぬ関係から「寛文8年(1668)3月には、前例にならって、出雲大社より古材木を賜っており、延享元年(1744)5月と文化6年(1805)10月とには、素鷲(そが)社の御内殿を(現本社の御内殿に使用)、明治14年(1881)には御神輿を(現八坂神社の内殿)、昭和遷宮の際には御神輿(現天満宮の内殿)と御客座神輿(現金刀比羅神社の内殿)とを下渡されている。」と記されている。
拝殿に懸かる玖潭神社と金色に彫られた扁額を見ると、明治時代に81代の出雲大社宮司を務めた千家尊紀(たかのり)の名が白く彫られている。
本殿を支える柱の足元には大きな石が並べられて、荘厳な雰囲気を醸し出している。そして、本殿の背後には、右側から八坂神社、天満宮、金刀比羅神社の順に並んでいる。これらの内殿に出雲大社の神輿の木材が使われているのだろう。
この玖潭神社は、その昔、近くの城山の頂上にあったという。静かな境内から階段を降りて鳥居をくぐって外へ出ると、右手に見える山がその城山である。戦国時代には尼子の城があったので、城山とか要害平とか呼ばれているという。山は途中に延命地蔵という謂れのある場所があって、そこまでは登りやすいというので、登ってみることにした。
登山口には少し赤みがかった御影石が立っていて、延命地蔵まで15〜20分と彫られている。登り始めるとすぐに、あと400メートルの札があった。多少きつい坂だけどなんとか登って延命地蔵へたどり着く。大きな岩に、丸い顔の優しげな地蔵尊が線刻されている。高さ3メートルはあるだろう、この岩は久多見石といって、このあたりの名産だったものらしい、江戸時代に松江藩主がこの大石を切り出して、隠居した父親の業績を生前に顕彰する寿蔵碑を建てている。今でも岩の上部に大きなノミの跡が幾つも怪物がかじった歯型のように残っている。頂上の神社が火事で焼け落ちたことがあって、その時に御神体が、この岩の上に降りたということで、この大岩の上に玖潭神社があって、岩は御神石だった。そのことを知っていた松江藩主は、切り出した後に祟りを恐れたのか地蔵尊を描かせて崇めたという。
ここから頂上へ向かうには、延命地蔵から少し後戻りして、稜線を登る経路を辿る。竹林もあるが多少は人が行くようで、少し跡はあるので、なんとか頂上へたどり着いたが、木立が茂っていて見晴らしは全く無い。頂上部分はほぼ平らで東西におよそ100メートル、幅は10〜30メートルという感じ。玖潭神社の旧社地がどのあたりかは、見当もつかなかった。延命地蔵まで20分、そこから頂上までは、およそ20分、合計40分ほどであった。
麓に立って城山を見上げると、頂上が平らだったので、しっかりした台形の形の山であることがわかる。それは、神が籠る山といわれる出雲の神名火山と同様の形ということもできるだろう。『出雲国風土記』の楯縫郡の神社の最初に名がある玖潭神社である。地域の神名火山はふさわしい場所だと思われる。
さて、出雲大社の八足門内に二棟ある門社があるが、左手にある西の社の祭神は、久多美神である。出雲大社境内図には、「聖地「おにわ」のご門衛の役として守護される神です。」とあった。この門社の東の社の祭神は宇治神とされているが、この神もまた、楯縫郡沼田郷に登場する宇乃治比古(うのちひこ)命のことと考えられている。また、『出雲国風土記』には、玖潭神社のあった楯縫郡に派遣された国司の下で、郡を治める地方官である郡司(ぐんじ)に出雲臣が見える。これは、『出雲国風土記』の編纂者であり、同時に出雲大社に奉斎する国造出雲臣広島(こくぞういずものおみひろしま)と同じ姓であり、縁戚と思われるのだ。ここでも楯縫郡と出雲大社の強いつながりが感じられるのである。古代において楯縫郡と出雲大社はどのような関係にあったのか謎が尽きない。

この 玖潭(くたみ)神社 に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

玖潭神社        35.460559, 132.807624
久多見石の延命地蔵   35.464946, 132.801457
延命地蔵への登山口   35.462110, 132.803398
城山山頂        35.465779, 132.800053




静まった境内に大きな大社造りのやしろ

玖潭神社の本殿

本殿の後方に、境内社が並び立っている

出雲大社の神輿が内殿になった境内社

久多見の延命地蔵を呼ばれる大岩である

玖潭の神さま鎮座の大岩

玖潭神社の鳥居の前あたりから北方に見える台形の山

元々の玖潭神社があった城山