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オオクニヌシ再生神話の女神

おおくにぬしさいせいしんわのめがみ 

見る知る松江エリア平成時代

オオクニヌシは二度殺され、二度生き返る。そんな物語が『古事記』には描かれている。その一度目、オオクニヌシが兄神達と稲羽(いなば)の国のヤカミヒメに求婚に向かう旅の途中、オオクニヌシはサメに皮を剥がれた稲羽の素兎(しろうさぎ)を助けた有名な物語がある。まもなく、ヤカミヒメは多くの兄神達では無く、オオクニヌシを夫に選んだのであるが、このことにおおいに怒った兄神達に命を狙われることになった。


オオクニヌシは兄神達に伯耆(ほうき)国の手間の山麓(出雲国との境になる場所)に連れて行かれ、「この山いる赤いイノシシを追い出すから、それを捕まえるんだ。捕まえられなかったらお前を殺す。」と告げられた。そこで、山の下で待ち構えていると、火で焼いて真っ赤になった大石が転がり落ちてきて、それを捕まえようとしたオオクニヌシは、大火傷を負って死んでしまうのである。
この死んでしまったオオクニヌシを生き返らせるためにウムギ(カイ)ヒメとキサガイヒメの二柱の女神が高天原から遣わせられた。この二神は、現在の出雲大社本殿に並んである天前社(あまさきのやしろ)に祀られており、オオクニヌシにとって命の恩人である大切な女神であろう。そして、それぞれの女神を祀る神社が松江市内にある。ウムガイヒメは法吉(ほっき)神社、キサガイヒメは加賀神社である。
ウムガイヒメの鎮座する法吉神社は、平成5年に造成されたうぐいす台団地と平成12年に造成された法吉団地合わせて区画数約400の市内でも最大級の団地の入り口にある。このため周辺には日用品等の大型店が数多く立地する賑やかな場所にある。
ここに、ウムガイヒメは法吉鳥(ほほきどり)に姿を変えて飛んで来たと『出雲国風土記』は伝えている。法吉鳥は鶯(うぐいす)の古名という。ウムガイヒメは『出雲国風土記』では宇武賀比賣と書かれているが、『古事記』では蛤貝比売とあり、貝のハマグリの古名という。貝が鳥に変身してやって来たという不思議な話になっている。
研究者によれば、『古事記』にあるオオクニヌシの火傷治療の物語が伯耆での事だから、そのイメージを残すためにホウキドリに化身して飛来したと創作したのではないかという。作者もいろいろ考えて書いたのだと感じる部分である。今の法吉神社は法吉団地に通じる道から鳥居をくぐって石段を登ったところに建っている。しかし、社伝によると、白鳳年間に創建され、永禄年間に現在地に造営、とあり、7世紀後半に創立、1660年ごろに現在地に移転したと伝えられているようだ。それまではというと、今うぐいす台団地が広がるうぐいす谷であったという。うぐいす台集会所の庭に本宮跡の石碑があった。団地造営の時には、本宮の近くにあった古墳が再調査され、今は法吉団地の奥に復元移築されている。その古墳の名前は、伝宇牟加比売命御陵古墳という。謂れは、大正13年刊行の『島根県史』の古墳一覧の中に「宇牟迦姫女御陵ト言傳フ」とあるからのようだ。立ち並ぶ家々の北側にある丘陵の裾に復元された古墳の階段を上がると、説明板があった。刀子(ナイフ)1本、鉄鏃(矢じり)15本、祭壇からは円筒埴輪や須恵器が出土し、古墳の大きさは1辺約16メートル、高さ2メートルの方墳(四角形の墓)で、6世紀前半に造られたとされていた。これがウムガイヒメのお墓と伝わっているということなのだ。うぐいす谷の地名由来を語りかけている。
そして、ウムガイヒメと一緒にオオクニヌシの命を救ったキサガイヒメはというと、驚くことに、うぐいす谷から真北9キロメートルにある巨大な海食洞、加賀潜戸で佐太の大神を産んだ母神として『出雲国風土記』に描かれている。それにしても真っ直ぐに北上した場所であるので驚く。推測に過ぎないが、このうぐいす谷の近くに加賀とつながる道があったというから、加賀潜戸とうぐいす谷の人々は、古来から遠からぬ関係があったのではないだろうか。そのことが影響しているのか、法吉神社の拝殿には、島根半島の海岸部によく見られる汐汲の竹筒が見られる。
オオクニヌシを救った治療法についても触れておこうと思う。オオクニヌシの焼け焦げた肉片を、キサガイヒメが大岩からこそげ取り、ウムガイヒメがオオクニヌシの母神の乳を塗ったところ、立派な男になって生き返ったという。これには、いくつか説があって、キサガイヒメは赤貝の女神で、赤貝の殻を粉にして、ウムガイヒメが蛤の汁で練り、それをオオクニヌシの身体に塗ったという説もある。蛤の汁が実際に薬として利用されていたことは、平安時代の辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)にも見られる。一方で赤貝の粉についてはよく分かっていない。ただ、稲羽の素兎の皮膚を直したオオクニヌシといい、この女神たちの火傷の治療といい、『古事記』に語られた医療の起源として注目されている話である。
オオクニヌシの2度目の死と再生は、この物語のすぐ後に語られるが、その再生の蹟、オオクニヌシはスサノヲの住む根の根の堅州国(かたすくに)に向かうのである。この女神による治療再生は、オオクニヌシが飛躍する物語の転換点となっている。

このオオクニヌシ再生神話の女神、に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

現在の法吉神社     35.488065, 133.045012
伝宇牟加比売命御陵古墳 35.495630, 133.048542
法吉神社本宮跡     35.494390, 133.049136
加賀潜戸        35.577210, 133.048487




法吉神社の本殿

法吉神社の本殿

本殿の後方に、境内社が並び立っている

社の前に広がる団地

久多見の延命地蔵を呼ばれる大岩である

拝殿に置かれた汐汲の竹筒

玖潭神社の鳥居の前あたりから北方に見える台形の山

伝宇牟加比売命御陵古墳