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ここにもカンナビ山が(続編)

ここにもかんなびやまが(ぞくへん) 

見る知る出雲エリア平成時代

先に紹介した布須(ふす)神社と御室山(みむろやま)について、補足して紹介しておこうと思う。学説では、『延喜式』、『出雲国風土記』に載る布須神社は、同じ雲南市加茂町に鎮座する布須神社ともいわれている。また、『出雲国風土記』に載る御室山は、同じ雲南市大東町中湯石室谷の奥の山(標高478m)に比定されている。


まず、雲南市加茂町に鎮座する布須神社から行ってみよう。こちらは加茂町を流れる赤川がまもなく斐伊川に合流しようとする延野字布須谷という地域にある神社である。こちらも山の中腹に立つ社殿は、下から仰ぎ見るような高みにある。神社の由緒書きには、
『当社後方の山を室山といい、麓に「フス池」があり、古来より神事にこの水しか使わないとされており、現在も神社下駐車場の脇に井戸として残されている。須佐之男命が逗留の際、もちいられた清水であったとも伝えられている。須佐之男命が八岐大蛇を斬られた剣を洗われ、池の水が赤色に変わったと言われる池が神社東方約1キロの所にあり、「赤池」(別の名を血の池)と住民は称していたが《昭和39年(1964)の大水害で今は跡形もない》。
大蛇を退治された須佐之男命は稲田姫と共に須賀に地に宮造りされる以前に、当地で御宝を作り臥し給いしにより起こった名で、布須神社の淵源である。「臥し→ふす」』とある。
出雲国風土記に記載の布須社は、この神社と思われる内容であるが、さてどうだろうか。参道の出入り口付近は「下(さが)りフス」と地名があり、右手の谷を「フス谷」、そこへの道を「フス道」その谷の奥を「ウシロフス」と云うようで、こうした地名に由来する神社と思われる。そうでありながら、須佐之男命や稲田姫というメジャーな神を祀っており、なかなか決め手が見つからないため、現在では、木次町の寺領と宇谷の境にある布須神社に対して有力な手がかりもなく、候補地となっている。なお、この布須神社の後方の山は、室山と呼ばれているが、特に磐座などは存在しないようである。
一方、御室山であるが、出雲国風土記に記載の御室山は、雲南市大東町中湯石室谷の奥の山(標高478m)に比定されている。大東町にある海潮温泉から南東へ向かって直線で約3キロメートルにある山である。そのため海潮温泉あたりからは、山容はまったく見えない。
出雲国風土記には、大原郡の条に、海潮は、元は得鹽(うしほ)という地名で、川中に温泉あり。と記載され、御室山は、スサノヲが御室を造らせ宿った場所である。だから御室と言う。としている。御室は神が降臨する場所を指す言葉とされている。そうしてみると、きわめて神聖な場所と思われるが、地域にはそうした伝説が残ってないようである。そんな中で島根県神社庁の発行による島根県内の神社を網羅した「神国島根」という本に、海潮温泉にある湯神社の境外社にスサノヲを祀る室山神社があった。この湯神社の川を挟んだ向かい側に見える小高い山が室山とする研究者もいることが分かったので、近所の人に聞くと頂上に神社跡があり、昔はお祭りもしていたとのこと、道を教えてもらった。その山の北東側に近くのオートランド山陰というバイクのモトクロスコースへ行く道の分岐点にある畑の脇から、山頂に向かって一直線で登る山道があった。普段から人が行き来するような道では無いようだが、数分で大きな岩に達して、岩を回り込むと、そこが頂上だった。天照大神など五神の名を刻んだ大きな石碑は社日さんがあった。社日は、秋の実りをもたらす土の神(地神ともいう)である。その後方に年月を刻んだ木製の垣根で囲まれた中に、さっきあった大きな岩と比べとても小さい岩が地面からのぞいており、風雨に朽ちた御幣が岩に横たわっていた。立派な磐座である。これが、室山神社の元宮跡なのであろう。


布須神社(雲南市加茂町) 35.35105602326277, 132.88572440962835
湯神社          35.32618879304175, 133.00366170768135
室山神社跡 35.324086756240526, 133.00575262848247
室谷神社への参道口    35.323706848680395, 133.00526744807695




こちらの布須神社も室山と呼ばれる山の中腹にある

加茂町の布須神社

室山の全景の中心部に神社の屋根が見える

加茂町の布須神社も室山の中腹にある

大東町湯村のむろ山の山頂にあるいわくら

大東町湯村の室山神社跡 

室山を西から見た時の、丸みを帯びた山の形

湯村の室山 中央に参道入口がある