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日本で最初の鬼の文字

にほんでさいしょのおにのもじ 

見る知る出雲エリア平成時代

鬼滅の刃というアニメが随分と人気を博して、世界へ進出した。親兄弟を人喰い鬼に殺されてしまった少年が主人公である。そんなこともあってか、ある時、図書館で「鬼の研究」という本を手に取った。すると、その中に鬼の文字が登場するのは、出雲国風土記が最初だというので、びっくりした。読み進めると、それは、現在の雲南市大東町にある阿用神社にまつわるものであった。それも一つ目の人喰い鬼の話であった。


山奥だろうと思いながら現地に向かう。大東の町から奥出雲へ通じる道路を3キロメートルほど行くと、道の両側に広い空が広がり、阿用川が蛇行して流れ、その両側に稲の苗が青々と広がっている阿用地区があった。阿用小学校もあった。
出雲国風土記に書かれていた古老が伝えていた物語とは。昔、ある男が、この辺りの田畑を耕していた時、目一つの鬼が来てその男を食べた。その時、男の父母が竹原の中に隠れていたるのが見えた。そこの竹の葉が動いている。その時、食われていた男が、父母に「動動(あよ、あよ)」と言った。というものである。それで阿用(あよう)と地名が付いたという。「あよ、あよ」とは、文字のとおり動け、動けという意味といい、行け、行けということらしい。原文には「その時」という語が3回も重ねられており、臨場感を表そうとした書き振りに感じた。
切れの良い刀が無かったのだろうかと鬼滅の刃を思い出したくなるシーンである。この一つ目の鬼は、何を表しているか様々な議論がある。阿用神社のすぐ近くに金屋子神と彫り込んだ石碑があり、周辺では、江戸時代のタタラ跡も見つかっているが、そのタタラ製鉄の職人が炉の中の鉄の出来具合を何度も観察することで失明することがあり、そうした特殊な職人に対する畏敬の念も含めて、一つ目の鬼の表現になっているのではないかと言う。
また、一方で、そうした由来ではないのではと言う研究者がある。出雲国風土記註論 関和彦氏の阿用郷には、動動(あよあよ)が神に祈り邪霊を払う言霊的な力があったのではないかと言う。熊本県山鹿の一ツ目神社について、『肥後の伝説』にある揺岳(ゆるぎだけ)の由来から、動と目一つの鬼を考える切り口があると考える。として伝承を詳しく書いている。想像が膨らむ話である。
それにしても、阿用という地域には一つ目の鬼の話だけでなく不思議な話が多いように思う。阿用神社には巨木と呼んで良いほど大きなタブの樹があり、荒神さんとなっている。この荒神さんにメダカを供える風習が昭和の時代まであったという。六三はずし(六三除けとも言われる)という身体の患いを取り除く祈祷においてメダカを供えていたというが、一つ目の鬼に関わるかどうかは、まったくわからないとのことだ。
また、阿用郷は、元の字は阿欲(あよ)だったが、それを神亀3年に阿用に替えたとことが出雲国風土記にある。この神亀3年とは、西暦726年のことである。出雲国風土記の完成は天平5(733)年なので、その7年前である。阿用には。その年に起きた不思議な話が伝わっている。それは、神亀3年のある夜、阿用郷の景山源葉の屋敷内に数多くの大石が現れた。そしてある日、不思議な異人が供人を連れて景山の家に来て「我住むべき所に止まれと石を投げ置いたはずだが、当地に奇異のことは無かったか」と尋ねた。源葉がある日の事の次第を語ったところ、異人は「予は八幡なり、この里に社を建てたならば子孫繁栄、五穀成就を守護する」と言い終わるとその姿が消えた。というもので、源葉はこれによって阿用八幡宮を造営したという。その時の大石の一つが燒飯岩(やきめしいわ)と呼ばれて今も阿用に残っているのである。尋ねて行くと阿用川の岸辺で民家の人の高さほどある擁壁の外側にあって、阿用川からは10メートルぐらいの急な坂の上にある。大石の大きさは高さも幅も1メートル40センチぐらいで、蔦などで覆われているが丸い形である。この大石は、転がり落ちても、翌日には元の位置にあると言う不思議な石だとも伝わっている。近くにこの地域の氏神として祀られている八幡宮もある。
また、阿用神社の背後の山中にある蓮華寺は、天平年間(729〜749年)に行基が開創したという。または、延暦年間(782〜806年)に伝教大師最澄が開創したとも伝えられている。当時は天台宗の山寺だったというから、山岳修行の場だったと思われる。また、その山の麓の阿用神社より下ったところにある善明寺も天台宗の寺として、天禄2(971)年に建立されたという。
江戸時代には木綿市場があって栄えた歴史があるが、それよりもずっと時代を遡り、古代より阿用は人々の集う場所だったようである。なぜ、そのような不思議な話があって、人の集ったところなのか、ぜひ一度訪問してみてほしい。他にも日本で北海道と福岡と、ここの三ヶ所しかないと言われる鮭神社や巨岩の間に鎮座する塩竈神社にも行って見ると良いだろう。さらに、この阿用の地を眺めようと思うならば、蓮花寺から磨石山(とぎしやま)や、くのじ展望台に登ると良い眺めが得られる。両所とも登山道があって、20〜30分で登ることができる。

参考文献
出雲国風土記註論 著者:関 和彦
鬼の研究 著者:馬場あき子 出版社:三一書房、筑摩書房
島根県口碑伝説集 発行:島根県教育会
<国立国会図書館デジタルコレクションにある島根県口碑伝説集>
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465126
大東町の遺跡掘 塑汗ぁΠね僉繊“行:大東町教育委員会

阿用神社            35.303004, 132.976394
金屋子神社石碑         35.303595, 132.975255
蓮華寺             35.302076, 132.979752
磨石山             35.299843, 132.978019
磨石山登山口          35.300359, 132.979878
くのじ展望台          35.302435, 132.981995
燒飯岩             35.296958, 132.969464
塩竈神社            35.295374, 132.968938
鮭神社             35.288813, 132.973301
八幡宮(岡村八幡宮)参道入り口 35.299101, 132.966369




阿用の平野の向こうに低い山並みが横に広がっている

奥の山の麓に阿用神社、上には蓮華寺

高さ60から80センチの楕円形の石が立った形

阿用神社近くの金屋子神社石碑

幹周りが3から4メートルはありそうな巨木です

阿用神社境内のタブの木の荒神さん

人が2人で両手を広げて、石を抱いて届くか届かないぐらいの大きさ

突如現れたという伝説のある燒飯岩