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ヤマタノオロチ伝承(その3)

やまたのおろちでんしょう そのさん 

見る知る出雲エリア平成時代

洪水を起こす斐伊川をさらに遡って行くと、八俣大蛇(やまたのおろち)公園なる場所があった。桜の名所として有名な木次土手の一角に、石で作られたヤマタノオロチの大きな頭部の彫像がデーンと座っている。スサノヲが高天原から降り立った時に、ここで川の上流から流れてきた箸を見つけて、上流に人がいると感じた場所だという。


人の背丈より大きな自然石は「箸拾いの碑」で「箸從其河流下」と彫り込まれている。この語句は『古事記』の漢文であり、それを書にしたためたのは、なんと出雲大社第83代宮司の千家尊祀氏であった。
それにしても、スサノヲが天下った場所は、『古事記』では、はっきりと鳥髪(とりかみ)と書かれており、これは現在の奥出雲町鳥上と考えられているから、雲南市の木次(きすき)では無いのだろうが、この伝説の出所を説明した雲南市のホームページに行き当たった。そこには、『この石碑は、広島県の古文書に残る「スサノオが箸を拾ったのは、旧日登村新市あたり・・・」という記載に基づき、平成3年に建てられました。』と書いてあった。『日本書紀』では天下った場所について鳥髪ではない他の地も登場するが、木次の地を示すような部分は無いのである。ヤマタノオロチをこよなく愛する気持ちが溢れてしまったのだろうか、詮索はこのくらいにしておこう。
スサノヲは箸を拾ったのではなく、見たというのが正確なのだが・・・。『古事記』の神話では、スサノヲは、箸の流れてきた河の上流へ歩を進め、出会ったのがヤマタノオロチに苦しめられていたアシナヅチ、テナヅチの両親とその娘クシナダヒメであった。そこでヤマタノオロチを退治するために、スサノヲはアシナヅチ、テナヅチに八塩折(やしおり)の酒という強い酒を作って、八つの門を作り、そこに酒を入れた桶を置くように言った。そして現れたヤマタノオロチが、その酒を飲んで酔ったところで退治するのである。
次に行くのは、その酒にまつわる場所である。八俣大蛇公園から3キロメートル余り南の山中に入った木次町の西日登という場所である。そこにあるのは、スサノヲがヤマタノオロチ退治のとき、酒を八つの壺に盛られた。ここに祀られる壺は、その一つが残ったものと伝えられている。それは西日登にある八口神社境内にある印瀬の壺神(いんぜのつぼがみ)である。地元では、壺神さん(つぼがんさん)と呼ばれているそうだ。壺というから、『日本書紀』に出てくる八甕の酒と思われ、『日本書紀』の神話ベースにした物語になっているようだ。西日登交流センターの壁に取り付けられた地図看板に見つけた壺神さんは、さらに2キロメートルほど谷間をくねくねと山中に入った場所だった。壺神さんの駐車場にたどりつくと、そこから、向かいの山に小さく鳥居が見えた。田んぼの脇を歩いて200メートルほどで八口神社の鳥居に着く、参道の横木を渡した段を上がって行くと御幣の立った垣根とその奥に小さな社が見えた。社には八口神社とある。一方、1メートル四方ほどの垣根の中を覗き込むと、下に大きな少し平べったい石があり、その周りに垣根の内側に沿って、8本の竹があって、取れてしまったものもあるが御幣が付いた竹が8本。ヤマタノオロチを頭の数に相当しているようだ。
登って来た参道のそばに壺神さんの解説板があった。戻ってみると『神代の昔 須佐之男命が八岐の大蛇を退治なされる時 脚名槌手名槌の夫婦は「汝等(いましら)は八塩折(やしおり)の酒を醸り垣を造り廻らしその垣に八門を作り門毎に八桟敷(やさじき)を結い その桟敷毎に酒船(さかぶね)を置きて船毎にその八塩折の酒を盛りて待ちてよ」と仰せられた――古事記 その時の酒壺の一つを祀ったものである』と書かれていた。う〜む、酒船とは木製の四角い桶のようなものだが。と思いつつ。続きがあった。昔村人がこの壺に触れたところ、俄に天がかき曇り山が鳴動して止まらないため、八本の御幣と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく静まったという。村人たちは壺が人の手に触れないよう多くの石で壺をおおい玉垣で囲み注連縄(しめなわ)をめぐらし、昔のままの姿で昔のままの場所に安置することにつとめた。とあった。あの石の下に壺があるのか、と膝を地面について屈んで石の下を覗いてみたら、壺の縁らしきものが見える。それにしても、ヤマタノオロチが飲むには壺が小さすぎる。一体どうしたことだろうという思いが湧き上がる。
木次の図書館に行き郷土誌コーナーを探すと、「日登村誌」という郷土誌があった。そこには、ツボの大きさは、深さ5寸、口径4寸5分、腹直径6寸5分で薄赤い素焼きとあった。これをセンチにすれば、深さ約15センチ、口径約14センチ、腹直径約18センチとなる。口径が銃や大砲の筒の長さを表すものなので、混乱するが。意味合いからして、壺の口の直径を意味していると勝手に解釈すれば、この壺は、胴の部分が口の当たる縁の部分より膨らんだ形で牛丼や親子丼などの器に似ていて、人の両手におさまるような大きさだと思われる。これに盛られた八塩折の酒をヤマタノオロチが飲むとしたら、舌の先で舐めるのもやっとではないかと思われた。
こうしてヤマタノオロチの由来を持つ地を巡って見てきたのだが、様々な伝説があるためヤマタノオロチの大きさが、全く想像できない。さて、どうしたものか。(つづく)

箸拾いの碑        35.290564, 132.897477
八口神社(印瀬の壺神)  35.256422, 132.907412




自然石に漢文が彫り込まれている

箸拾いの碑

参道入り口に立つ御影石でできた鳥居

八口神社の鳥居

1メートル四方の垣根に御幣が立っている

壺神さんを囲む垣根と御幣

岩の蓋の下をのぞくと素焼きのような何か見える

壺神さんか?