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ヤマタノオロチ伝承(その6)

やまたのおろちでんしょう そのろく 

見る知る出雲エリア平成時代

『天淵八叉大蛇記』にあるヤマタノオロチの姿、形については、「八つの頭、八つの尾があり、十六の角は、天にも届く枯れ木のごとし。十六の目は日月の輝くごとし。上下の牙は、剣を交えるがごとし。その息は、火炎の色のごとし。その舌は、紅(くれない)の袴(はかま)を速き瀬に流したごとし。その大きさは、七山七谷に相当する。」


続いて「天が淵から出る時には、霧が洪水のように降り、にわかに生臭い風が吹く。河水に気が起こり、天が淵の色は猛火のごとし。河は逆流して音を立てる。」とあって、この物語を、映画やテレビの無い時代に耳で聴くだけであれば、それはそれは、ヤマタノオロチの凄まじい様子が伝わったことだろう。
さて、この七山七谷の長さについて、この書の別の部分に「又此去河上二里有餘、隔二七山七谷一而有二深渕一」とあって、七山七谷が2里に相当するように読み取れる。さて、この七山七谷の長さについて、この書の別の部分に「又此去河上二里有餘、隔二七山七谷一而有二深渕一」とあって、七山七谷が2里に相当するように読み取れる。『出雲国風土記』の頃の「里」の長さは300歩であり、1歩は1.78メートルであったから、「里」の長さはおよそ534メートル。ところがこの物語の書かれた中世になると、1時間に歩くことができる距離が1里という考えも生まれており、「里」は地域によって違いが大きく明確な長さが不明なのである。そんな中で当時、西日本で使われることが多かった36町=1里は、今と同じように約4キロメートルであった。とすれば、2里もあるヤマタノオロチの長さは8キロメートルほどもあり、七山七谷というイメージに合うように思える。
しかし、『古事記』では八つの谷、八つの峰にわたるとしており、この八と七の違いは何故なのだろう。中世に地元で語られていたのは、七山七谷のヤマタノオロチであった。『天淵八叉大蛇記』には、天が淵の東岸の渦巻く河の底に、三尺余りの丸い円形の穴があって、そこにオロチが住んでいた。その穴の中は、水の底だというのに、滴る水が無く、限りなく広がっている。とある。中は限りなく広いとあるが、入り口の丸い穴は1メートルにも満たない。長さが8キロメートルもあるオロチの体の直径が1メートルも無いとは、余りにも細すぎる。それに、頭が八つあれば、首も八つあるから、それなりに太く見積もらねばならない。アラジンの魔法のランプのような出入りをしたとしたら別であるが。
また、テナヅチ、アシナヅチについてであるが、『古事記』や『日本書紀』では、稲田姫の父親はアシナヅチ、母親はテナヅチであるが、驚くことに『天淵八叉大蛇記』では、父がテナヅチ、母がアシナヅチとなっており、天が淵の西側にはアシナヅチの廟があり、東側にはテナヅチの廟があったとある。
現在、東岸の道路の上の山は万歳山と呼ばれ、その山腹にはアシナヅチとテナヅチの神陵といわれる二神岩(ふたごいわ)が祀られている。以前は、二神岩の礼拝所が万歳山の麓にあったようだが、国道314号の拡幅工事により、現在は温泉神社の境内に移設されたという。そこで、温泉神社に行ってみると、本殿の横に玉垣に囲まれたアシナヅチとテナヅチのそれぞれの神陵があった。しかし、温泉神社の解説板を読んでみると、父親がテナヅチ、母親がアシナヅチとなっていた。いい伝えはどうなったのだろうか。
数年前に、万歳山の中腹にある二神岩に行ったことがある。出雲地方の磐座に詳しい方に連れて行ってもらったが、すでに山道は無く、その方の勘を頼りにたどり着いた岩は崖のような場所にあって、ちょうど、岩の前から伸びた樹の上に足を乗せて、ほぼ正面から撮影した。この二神岩の近くに、それぞれアシナヅチとテナヅチの神陵として祭られていたようである。二神岩の前にあった木立の間から川は見えなかったが、対岸の集落の家は見えたので、周りの雑木などを綺麗に刈ってあれば、集落から拝礼できただろうと思われた。
一方のアシナヅチの廟の痕跡がないかと、天が淵から400メートルほど西にある杉森神社に行ってみた。杉森神社の入り口が分からず、草刈りの手を休めておられた地元の男性に聞いてみると、杉森神社でアシナヅチの廟という話は聞いたことが無いという。そしてアジスキタカヒコネが祭られる杉森神社まで案内してくれて、そこで立ち話になった。なんと子どもの頃は、夏に天が淵で泳いでおり、良く潜りました。と言われたので、底に3尺ほどの穴が無いかと聞くと。東岸の岩のすぐ下に直径3〜4mで奥行き2〜3mほどの洞穴(ほらあな)のようなところがあって、中にはウグイとか入っていた。という。そして、その洞穴よりもう一段深い底に、直径1メートル程度で深さ30〜50センチメートルと思われる円形の窪みがあった。しかし、深いため水が冷たいのと、天が淵の近くにある養善寺というお寺の井戸と、その穴が繋がっていて引き込まれるから行くな。と言われており、穴を近くで見たことは無いのです。とのことだった。ヤマタノオロチの住処の物語には、モデルとなった実物が存在したのだった。それにしても、オロチの住処という話が、昭和には残っていなかったのは、寂しい気もした。話を聞いたその方は定年されたばかりだそうで、これからは、イノシシやサルに負けないで農業をすることと、地元の歴史や文化なども探索してみたいということだった。



天が淵    35.230218, 132.910238
温泉神社   35.224890, 132.911644
杉森神社   35.228934, 132.905985




よどみ、渦巻く水面

オロチの窟宅という天が淵

二つの木製の垣根の中、それぞれに石が祀られてある

温泉神社のテナヅチ、アシナヅチの神陵

大きな岩が二つに割れたような様子

二神岩(ふたごいわ)

天が淵の背後にあり、神名火山のような台形の山

中腹に二神岩のある万歳山