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ヤマタノオロチ伝承(その7)

やまたのおろちでんしょう そのしち 

見る知る出雲エリア平成時代

オロチの話がこんなに続くとは思っても見なかったが、その姿、形を求めてみると、その伝承地をこれだけ巡ってみても、結論めいた物語に行き当たらない。少し箸休めに、オロチ退治を巡る間に、スサノヲとイナダヒメの逸話もいくつかあったので、ここでそれを紹介してみようと思う。


まずは、スサノヲはヤマタノオロチを退治するのに、佐草の地に八重垣をめぐらして、イナダヒメを隠して戦い、勝利したわけである。とすれば、すぐにでも八重垣をめぐらした佐草の地に帰還するとおもえるのだが、戦いに勝利したスサノヲのそばにはイナダヒメが一緒に居て、すぐには佐草の地に帰らずに留まった地があるという。スサノヲの勝利を伝え聞き、イナダヒメが佐草の地から駆けつけたのだろうか。
西日登の東側にある東日登地区にその場所があった。大きな石柱に大森神社と刻まれていた。長い石段を上がっていくと、上がり切ったところに、江戸時代に全国の地図を作った伊能忠敬が通ったところという記念碑があった。
そこから左へ坂道が続いており、その向こうに神社が見える。大きな拝殿の後ろに大社造りの本殿がある。スサノヲとイナダヒメが須賀の地に向かう前に、この大森神社に滞在して婚儀の準備をしたという伝説がある。つまり、ヤマタノオロチ退治をした地にはるばる八重垣をめぐらした佐草の地からやって来て、この地に留まって婚礼の支度をしたというわけである。
この大森神社は、出雲国風土記に記載の日原社ではないかと言われている。日原社の候補は他にもあって、日原神社がそれである。それはさておき、大森神社は近くの旧社地から移転したものと言われ、その旧社地近くからは、貴重な銅鐸が発見されている。それは木次銅鐸と呼ばれており、発見は明治24年(1891)という。現在は「木次銅鐸出土地の跡」と彫られた幅1メートルほどもある大きく丸い自然石の碑がある。この銅鐸出土地あたりに大森神社があったようで、本殿は北向きで日登駅の方を向いていた。そのため、木次線が沿って走る久野川の川向いの道を馬に乗って通行するものの落馬が相次いで起こり、後に現在地に遷る時には、北向きにせずに造営したという謂れがある。
さらに当社は神仏両部信仰の名残と考えられる鐘と鈴の両方を祭典に用いるそうで、修験道の流れもありそうに感じる三不思議もあるという。それは、頭部に神紋をいただく竜(蛇)が神の使者として住んでいるというものであり、古老が見たと伝わる。また、社殿の屋根が鳴るようだ。極め付けは神が姿を現すという。地域では大森さんと呼ばれているという。
もう1ヶ所、雲南市にあってホームページやSNSに、ヤマタノオロチを退治したスサノオが踊っている時、頭に挿していた佐世の小枝が落ちたことから、佐世と呼ぶようになった。などと紹介されている佐世神社へ行ってみた。参道の石段は荒れており、車で小高い丘の上にある境内近くまで上がるようになっている。本殿のある境内には、佐世の木という木は見当たらず、うろうろと境内から少し降る坂を降りて行くと、幹から太い枝が数本に別れた巨木に「佐世の森」という解説看板があった。そこには、枝が八方に広がり幹廻り3.8メートルに及ぶ椎木(しいのき)の古木とあった。枯れては又芽をふき、現在は五代目とあった。
出雲国風土記には、スサノヲが佐世の木の葉を頭に刺して踊った時に、刺していた佐世の木の葉が地に落ちた。それで佐世という。と地名由来が語られている。ヤマタノオロチを退治したので、という話は風土記には無かった。土地の人々が風土記の物語を耳にして、スサノヲがオロチ退治をして嬉しくて踊ったと受け止めたのだろうと思われる。それにしても、この巨木は、椎木という。では、佐世の木とはどのような木なのだろうか。風土記研究者もいろいろ調べていたようで、平安時代に作られた辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に記載されている「佐之夫乃岐(さしぶのき)」であって、現代のシャシャンボ(ツツジ科)だろうとのことだった。インターネットをみると、秋にできるその実は食用となり、同じツツジ科のブルーベリーの仲間であるため、「日本のブルーベリー」と呼ばれ、甘酸っぱい。などとあって、食べてみたくなる。大東町誌によると、この佐世神社の奥にある小山を神の御休所といい、古くから毎年神幸式を行っているという。きっとそこに佐世の木が茂っていたのではないのだろうか。

このヤマタノオロチ伝承(その7)に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。
大森神社      35.272356, 132.930236
佐世神社      35.308962, 132.949370




一の鳥居の階段を上ると境内まで2つの鳥居が見える

大森神社の参道

道路脇の家の塀の間にある楕円の大きな石碑

木次銅鐸出土地跡の碑

幹から大きな枝が何本も分かれて広がっている

佐世の森(椎木の巨木)

あおあおとした椎木の葉

佐世の森(椎木の巨木)の葉