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ヤマタノオロチ伝承(その9)

やまたのおろちでんしょう(そのく) 

見る知る出雲エリア平成時代

この(その9)では、ヤマタノオロチについて伝承されている地域はどこなのか、はたまた何カ所ぐらいあるのだろう。と探索した報告となっている。これまで紹介した場所もあったが、まだまだ知らない場所もあった。図書館を巡り巡って行きついたのが、斐伊川をはじめ江川、太田川、四万十川など中国四国地方の大河の歴史が川ごとに産業や信仰、芸能などを題材に書かれている『流域をたどる歴史6中国・四国編』という本だった。


その中の斐伊川の章の中に「八岐大蛇の遺跡と芸能」と題して取り上げられていた。なんとその数26ヶ所。これまでに紹介したところも含んでいるが、まだその倍以上あるとは驚いた。これを書いたのは出雲の民俗学者であった石塚尊俊氏である。発行は昭和54年(1979)である。
そこには、興味深い分類がなされていた。それは、戦国時代の大永3年(1523)に書かれた『雲州樋川上天渕記(うんしゅうひのかわかみあまがふちき)』と題する物語に登場する場所、そして、享保2年(1717)に記された松江藩の地誌『雲陽誌』に記載のあるもの、そして、石塚氏が「八岐大蛇の遺跡」を書いた昭和の時代に郡村史や伝説集などの類から拾ったものを分けて一覧にされていた。
◎は『天渕記』以来、◯は『雲陽誌』以来、他はそれ以外の伝承地。として以下を挙げてあった。以下、長いがその引用である。

仁多郡(現在の奥出雲町)
横田町竹崎 鳥上滝  −−− 大蛇のすみか
同上 横田 蛇山平  −−− 大蛇のすみか
同上    長者屋敷 −−− 翁・媼の屋敷
同上 稲田 産湯の池 −−− 稲田姫誕生地
◯仁多町佐白 長者屋敷 −−− 翁・媼の屋敷
◯同上    大蛇池  −−− 大蛇のすみか
◯同上    八頭坂  −−− 大蛇のすみか
同上    岩布施山 −−− 退治の場所
同上    簸の谷  −−− 毒酒を醸した場所
同上    元結掛松 −−− 稲田姫の元結掛け
同上    茶屋湯  −−− 翁・媼の山荘

大原郡(現在の雲南市)
◯木次町湯村 荒神   −−− 翁・媼の屋敷
◎同上    天渕   −−− 大蛇のすみか
◎同上    蛇帯   −−− 大蛇の腹の跡
木次町寺領 釜石   −−− 毒酒を醸した場所
◯同上    八頭坂  −−− 大蛇のすみか
◎同上 里方 八本杉  −−− 大蛇の角を埋めた所
◎加茂町神原 草枕   −−− 大蛇が枕した所
同上    水越峠  −−− 大蛇が討たれた所

飯石郡(現在の雲南市)
◯掛谷町多根 萱野池  −−− 大蛇のすみか
◎三刀屋町  尾崎   −−− 大蛇の尾が流れ着いた所

簸川郡(現在の出雲市)
斐川町出西 稲城   −−− 大蛇退治の本拠地

出雲市 
◯大津町来原 池の内  −−− 大蛇がいた所
◯   北区 雲根神社 −−− 大蛇の骨を埋めた所

松江市
◯大野町下分 大野津神社 −− 大蛇の角を埋めた所

八束郡(現在の松江市)
◯鹿島町本郷 旧清地神社 −− 大蛇の骨あり

以上26ヶ所の内、『雲州樋川上天渕記』記載は5カ所、『雲陽誌』記載は10ヶ所であり、時代が下るに従ってヤマタノオロチ伝承地は増えているような感じがする。それに、この一覧の中には、当シリーズの(その2)にある「尾留大明神天叢雲剣発祥地(加茂町三代)」、(その4)の「はらかじ(木次町西日登)」「尾瀬(おのせ)(木次町西日登)」(木次町西日登)」の3ヶ所は記載されておらず。これを加えるとヤマタノオロチ伝承地は29ヶ所となった。こんなにあるとは驚いた。


参考 『流域をたどる歴史 6 中国・四国編 』豊田武・藤岡謙二郎・大藤時彦編  発行 ぎょうせい 昭和54年 初版


大野津神社   35.465853,132.918277

草枕山     35.336477, 132.871856
八本杉     35.305286, 132.902063
天が淵     35.229796, 132.910135




中央部が切り通しになって二つに別れた小山

オロチが枕にして横になった草枕山

大きく高い台形の自然石に八本杉と刻まれている

八本杉の碑

宍道湖で蛇骨をゆする雨乞いの特殊神事についての説明

大野津神社の説明板

豊かな斐伊川の水をたたえて淀む深淵

ヤマタノオロチの住処という天が淵