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3本足のカラスを射るとは

さんぼんあしのからすをいるとは 

見る知る松江エリア平成時代

島根半島の松江市美保関町に白砂の海水浴場で有名な北浦がある。その海岸風景は島根半島随一の絶景と思う。海水浴場の白砂が海に伸びてつながったような島があり、そこに伊奈頭美(いなずみ)神社が鎮座している。正月5日の午前10時前ごろ、冬の曇り空の下、夏とは打って変わった人気のない浜に地元の方々が黒い礼服姿でやってくる。


集まってくる人たちは、まず薄暗い朝の海辺に打ち上げられた海藻を拾い、それを再び海水に浸して洗う。それを持って神社に向かうと、鳥居の前で、手にした海藻をクルクルっと回して、一礼して鳥居をくぐって行くのである。そして、拝殿の階段の上り口で再度、クルクルっと回して、脇においてあった籠の中に海藻をほおり投げる。これは、島根半島四十二浦巡りや忌明けに行われる潮汲みによる禊(みそぎ)なのであるが、それが参拝の作法としても行われているのである。
総勢20人余りが集まった拝殿の中では、真新しい筵(むしろ)が2枚敷かれて、神事が始まった。祝詞奏上などが終わると、白い小忌衣(おみごろも)を着た人たちによって、何やら始まった。まず、小さな鋤のようなモノを牛の真似をして引く作業、これは田植え前の荒起こしである。そして次は、10本ぐらいの細い棒が並んだ櫛のような形の道具を、片手の先で持って、敷いてある筵の上を動かしていく。これは田んぼに水を張って、土を細かく砕き、丁寧にかき混ぜて土の表面を平らにする代掻き(しろかき)という作業の真似事である。その所作が終わると、次は榊(さかき)の葉を、1枚の筵の上に並べて行く、これが稲の苗を育てる苗代づくりとなっており、次に苗を三宝(さんぽう)に取り上げて、別のもう一枚敷いた筵に並べて行く。これが本田となっていて、所作は田植えなのである。その後、ミニチュアの鎌で稲刈りの真似事をし、榊の葉を三宝の上に集めて、それを神前にお供えするのである。まるで田植えから稲刈り、収穫したお米を供えるような所作の連続であるが、とても丁寧に行われていた。これは、予祝(よしゅく)といって、あらかじめ稲に関わる所作を演じて祝福するもので、順調に稲が実るように祈る神事となっている。
神社の背後の山は奈倉鼻と呼ばれていているが、出雲国風土記では稲積嶋と呼ばれた島と考えられている。それがいつのころか砂によって陸続きにあり、稲倉山(いなくらやま)とも呼ばれるようになった。稲倉山はご飯を盛った様子を表しているそうだ。そう言われれば、そんな形をしている。
さて、田植え神事が終わると、小忌衣(おみごろも)を着た人たちが外の浜に出て行く、後を付いて行くと、潮汲みをした浜には、稲倉山から切り出した数本の常緑樹の木が立てられて、森に見立てられている。その森に向かって代わる代わるに弓矢を放つのである。矢が飛んでいく先には、白い紙があって、なにやら描かれているが、それは3本足の鳥であった。3本足といえば、八咫烏(やたがらす)という神の使いのカラスである。日本サッカー協会のシンボルマークにもなっているあれである。しかし、白い紙に描かれたカラスは羽が黒く塗られておらず白い。矢の数は、平年は12本、閏年には13本を射るそうだが、矢が的のカラスに当たらない時は、至近距離から射るか、はたまた手に矢を持って、白いカラスにブスッと刺すのだそうだ。この時は、30センチぐらいの至近距離からバシッと矢を放った。
そうまでして射止めようとするこの神事は、民俗学によれば、悪魔祓いとか歳占いと言われ、その年の豊作や凶作を占いもので、矢の当たり外れに意味があったという。しかし、いまでは詳細は失われているようだ。カラスの眼に的中すれば、願い事が成就するということである。鳥を描いた的を射る行事を歩射(ぶしゃ)の祭りと呼び、神社や寺院が発行する3本足の鳥を描いたお札や厄除けの護符は、牛王宝印(ごほういん)と呼ばれている。これを的として射る祭りは、中世末から近世のころに、陰陽師や修験者によってもたらされた祭りと考えられているそうだ。
伊奈頭美神社の祭神は、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)である。名前の宇迦は穀物・食物を意味し、穀物の神である。平地の少ない北浦では、わずかしか獲れない米に対して、二つの神事を重ねて行うことで、より強くその豊作を祈ったのであろう。こうした田植え神事やお的神事を北浦の他で今に残すのは、松江市の野波、千酌、出雲市の三津となっている。

※『神の国の祭り暦』(勝部正郊著、発行 慶友社)などを読むと、お的神事を先に行って田植え神事を行う順であるが、この時は、逆順になっていた。

参考資料
『神の国の祭り暦』(勝部正郊著、発行 慶友社 2002年)
『出雲祭事記』(速水保孝著、発行 講談社 1980年)
『島根半島四十二浦巡りの旅』(関和彦監修、発行 島根半島四十二浦巡り再発見研究会 2015年)
『出雲国風土記註論』(関和彦著、発行 明石書店 2006年)


伊奈頭美神社 35.561540, 133.153962




浜で藻を拾って海水に浸す

藻を拾って潮汲み

むしろの上に、さかきの葉を並べる

田植え神事

浜辺に作った森に向かってゆみやをいる

お的神事

森の木につけた紙に線で描かれている

3本足の白いカラス