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弥山(みせん)さんに登る(3)

みせんさんにのぼるその3 

見る知る出雲エリア平成時代

ここまで弥山の物語を書き連ねてきたが、弥山は神仏を祀るとともに麓に暮らす人々に恩恵を与えるような事が起きてきた場所であって、弥山が信仰され続けるもとになっている物語がもう一つある。それは、江戸時代末期のこと。弥山にあった権現様へ参拝登山した男がおり、足元に一株の草を見つけ、「珍しい草だ。田圃(たんぼ)に植えて大きくしたら田の肥やしになるかもしれん。」と見慣れぬ草を持ち帰ったという。


男は山夫八郎(ぶはちろう)といい。現在のしまねワイナリーの東のあたりの高浜地区に住んでいた。彼の伝記(日本農人傳第3巻所収の『苜蓿(もくしゅく)の花』和田傳著)には、ひどい凝り性で、ある時、お地蔵様にぶつかった時に夫八郎は、「これはこれは、どうもすまんことをしました。」とかぶりものを取ってあやまった、とある。その頃は、百姓の一年の農作業の指針となる百姓歴(こよみ)を作っており、庭にしめ縄を貼って、神様を念じながら心を清めて考え込んでいる最中だったようである。弥山の東のふもとにある高浜村に生まれて、幼少期から賢く、算数を独学で究めて、測量なども行ったようだ。彼が52歳の天保8年(1837)に、田植えが終わり近隣近所の人たちと近くの弥山に登り、一夜をおこもりして、山頂の権現様に豊作を祈願するならわしであったから、この年も弥山に登った。この天保時代は、五年と七年に大凶作となり日本全国が飢饉に見舞われていた頃である。うちつづく凶作に、なにか手立ては無いかと考えていた夫八郎の目に止まったのが、あの草である。夫八郎は、その草を貴重な米の取れる田に植えて増やそうとした。それを見た周囲の人々からは、なにを物好きなことをしているのかと揶揄された。しかし、いかに米の収量を増やすかばかりを思案していたから、そんなことには目もくれず。拾って来た草の栽培に息子まで借り出して没頭した。そして、やっと繁殖したその草を田にすき込んで稲を育てたところ、大変収穫が良かった。すると、噂を聞いた周りの人々が、我も我もと草を分けてくれと夫八郎に頼み込んだ。それからというもの、その草はすこしずつ広がって島根県内はもとより広島県や岡山県までも広がったという。
湿田地帯だった簸川平野では稲刈りが終わると、田んぼの中にいくつもの高畝を作って、その上にあの草を植えた。田植えの前に、繁茂した草を高畝ごと崩して土にすき込んで肥料とした。化学肥料が無かった時代にレンゲ草と同様の貴重な緑肥(窒素肥料)となった。
ところがこの緑肥になった草は、田草、タビ草、コヤシイラズなどと呼ばれていたが、結局なんという植物なのかは、明治になるまで分からなかった、この草が苜蓿(もくしゅく)であると国立農事試験場参院支場で鑑定されたのは明治29 年(1896)のことだそうだ。原産地は地中海地方で江戸時代に牧草として伝来し帰化したものという。そのためかウマゴヤシとも呼ばれる。苜蓿が斐川平野で最も盛んに栽培されたのは大正時代といわれている。
3〜5月に小さな黄色い花を咲かせる。これが、弥山の麓にある夫八郎の故郷、高浜のコミニュティセンターの花壇の一隅に植えられていた。毎年高浜小学校の子どもたちが郷土の偉人、山夫八郎を学ぶ際にこの花壇を訪れて観察するそうだ。それを見に行ったら、夫八郎の記念碑があるというので、教えてもらって行くと。石碑の後ろに弥山が望めるよう立っており、夫八郎に相応しい場となっていた。記念碑の銘板には、夫八郎の銅像があると記されていた。銅像は荒川嶺雲の手による。嶺雲の叔父は松江で江戸末期から明治時代に活躍し「島根のダヴィンチ」とも称された彫刻の名手であった荒川亀斎である。この叔父から彫刻を学び、24歳のときに東京へ出て彫刻家の高村光雲のもとに入門した経歴を持つ彫刻家である。彼の手になる山夫八郎の銅像は太平洋戦争の時に、金属供出運動の対象となり、その姿を消した。しかし、昭和56年に島根県農事試験場の跡地に出雲市民会館が建つことになり、山夫八郎の偉業を後世に伝えるため、高浜小学校に残っていた荒川嶺雲による銅像の原型であった木彫像を出雲市民会館のロビーに展示した。高浜小学校には、新たに原型から作成された銅像があるという。
もうひとつの逸話は、見下ろす弥山の南側の麓一体は弥山山頂と同じ菱根(ひしね)という大字名であるが、その一体は江戸時代初めまで湿地帯であった。それを開拓して新田にしようとした三木与兵衛が、湿地の排水をするために川を掘るルートをこの弥山に登って見聞して決めたと言われている。今、堀川と呼ばれるその川は、古代出雲歴史博物館の南にある小さな乙見(おとみ)山の中央を削って、大社の街にある大鳥居の前を流れて日本海へ注いでいるのが見える。

※三木与兵衛の伝説は、当いずもる の いにしえを辿る 「神門水海は湿地から新田へ」で紹介しています。


弥山さん頂上      35.405363,132.703386
みせん広場駐車場    35.397321,132.693137
高浜コミュニティセンター花壇 35.392380,132.739553 
山夫八郎記念碑    35.391437,132.760458
銅像のある出雲市民会館 35.361579,132.745197




古代出雲歴史博物館の入り口付近からのみせんさんの姿

山桜が咲き乱れる弥山さん

一見クローバーに似た葉の間に小さな黄色の花がある

苜蓿(もくしゅく)の花

記念碑を東側から見ると背後にみせんさんが見える

山夫八郎記念碑の右奥が弥山さん

野良仕事の着物の袖で汗を拭く姿

苜蓿を手にする山夫八郎木彫像