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オオクニヌシとスクナビコナの住まい(2)

おおくにぬしとすくなびこなのすまい そのに 

見る知る石見銀山エリア平成時代

「志都の岩屋は 弥山(みせん)のふもと のぼりくだりの けしきのよさは くぐり岩やら 千畳敷に 神代ながらの 風が吹く」。これは1964年の東京オリンピックの時に東京五輪音頭を作詞した宮田隆による「瑞穂(みずほ)のうた」の一節である。この志都の岩屋は、現在の邑南町岩屋地区にある。神話に登場するオオクニヌシとスクナビコナの二神が国作りをする時に住まいした場所ではないかとされている。


出雲の国づくりをした二神が住まいしたというには、邑南町は出雲からずいぶん離れた場所にある。車でおよそ2時間、出雲市駅から南西へ向かい三瓶山を越えて距離にして約90キロメートル、もう2キロメートルほどで広島県境である。
志都の岩屋のある志都岩屋神社の鳥居の前の駐車場につくと、そこから杉林の中に参道が続いていた。石畳の参道を上がる途中に「くぐり岩」という場所あった。大きな岩の隙間を腹ばいになってくぐるもののようだが、水がたまっているのが見えたので中には入らず、周りを巡ると歌が詠まれていて「くぐり岩 はらぼうて 静水掬うや 岩狭間」とあった。いにしえには、この石門をくぐってから神前に参拝したという。
石畳の参道は長さ100メートルぐらい続き、大きな拝殿の前に出る。参拝して拝殿の後ろへ回ると、本殿に接するように本殿より高い岩壁が聳えていた。これが鏡岩と呼ばれ、江戸時代ごろまでは、この高さ約9.4メートル、幅約14メートルの巨岩の前に小さな祠があっただけという。別名は神体岩である。
神体岩の表面には風化のためか小さな穴がいくつも空いており、その穴が二つつながったようなところにコヨリが通されて結ばれたものが、探すといくつも発見できる。祭神がオオクニヌシなので、縁結びの願掛けで有名という。そのためか岩のもう一つの呼び名は「鼻ぐり岩」である。
鏡岩の左側では清水が岩からしたたり落ちていた。これが万病に効くと伝わる「志都の岩屋の薬師水」で、今では島根県の名水百選にもなっている。夏の平日にもかかわらず、他に数人の見学者があって、カップルや写真を撮りに来た人、親子連れもあった。みな静かに見て回っているのが印象的であった。
薬師水の脇には大きな記念碑が2つ建っている。そこには、万葉集(巻三)にある生石村主真人(おいしのすぐりのまひと)の歌「大汝少彦名のいましけむ 志都の石室は幾代経ぬらむ」の元の漢文とこの読み下し文の碑がそれぞれあるのだ。この歌が、二神が国づくりするときの住まいだったとする根拠になっているのである。しかし、これについては島根県内にもう1ヶ所候補地があり、いずもるでは既に、いにしえを辿るの中で、「オオクニヌシとスクナビコナの住まい?」として大田市静間の魚津浜にある「静の窟」を紹介している。「静の窟」は、江戸時代に国学者、平田篤胤が万葉集の「志都乃石室」であろうとしている場所である。
これらの石碑の左側に少し離れて志都の岩屋の全体が描かれた図板があり、名前の付いた岩がたくさん描かれていた。そこから登り始めると、すぐに古志都岩に着く、石が組まれたような小さな洞窟のようになっており、奥には地面から飛び出している小岩がある。この小岩が神仙と伝わり、神が宿る場所として拝願されているという。ここに二神が住まいしたのだろうかと思いつつ、見上げると大岩が林立しているのが見えて、疑問もそっちのけで上へ上へと登ると千畳敷という大岩の下に着く、岩に沿って左に行くと奥の院という場所にでた。ここにも洞窟があって、「石の宝殿」とも呼ばれ、ここも二神の住まわれた場所と伝わっている。
それにしても、大田市静間の「静の窟」は奥行き45メートル、横幅30メートル、高さ15メートルほどあるとても広い洞窟である。ところが、こちらの奥の院の入り口は、幅が1〜2メートルほどと思われた、木が茂って近寄れず、中までは見られなかったが、二神の住まいというには少し狭いのではないか。ここ瑞穂の志都の岩屋については国学者の本居宣長が随筆『玉勝間』で言及しているが断定を避けている。
まだまだ大岩が続くので頂上まで行ってみよう。中天狗岩、行場岩へと続く。これらの岩の名前からも分かるように、ここは山伏、修験者の修行場だったという。行場岩にある歌は、「登りきし 行場ヶ岩の松ヶ枝を 神代のままに 風吹きわたる」とある。岩を割って大きな松の木が生えている行場岩の上に登るのである。なんとか割れ目の松の向こうへ出るが、もう怖くて前に進めない。この行場岩は下から見上げると、いくつかの岩の重なりの上に大きな岩が乗っているだけに見える。上から見た大岩と異なってとても不安定そうに見えるので「だまし岩」ともいうそうだ。一番上の大岩の下には威霊印(いれいいん)と称される印があって、岩上からこれをのぞき見るは天狗の技なり、といわれているという。修験道で有名な奈良県大峯山の「西ののぞき」という、絶壁から綱で吊るされる場所と同様な修験者が一度死んでしまう境地になるという行場だったのかもしれない、などと思いつつも、早々に岩から降りた。
そこからいくつもの岩を巡って弥山の頂上(標高606メートル)に至ると、ほぼ360度のパノラマの山並みを望むことができ、遠くに三瓶山が見える。
上の天狗岩から下の天狗岩まで岩の上を歩いて修行したとか。飛び岩は離れた二つの岩の隙間を、相思の者共に通るときは想いがかない幸せがおとずれ、悪業ある者は通ることができないといわれ、はさり岩とも呼ばれている。志都の岩屋には、まだまだ多くの岩と由来があって面白い。詳しくは下記の資料をご覧いただきたい。

参考にした資料
『万葉集と洞窟供宗峪崚圓寮仄次覆靴弔里い錣筺法彭曽誼呂鮓(』(論文)
 著:大阪経済法科大学地域総合研究所・洞窟環境NET学会 由良 薫
志都の岩屋 B5版 40ページ 昭和60年11月1日発行 編集 日高 学
(所蔵:邑智町立図書館、島根県立図書館)
志都の岩屋 パンフレット(19×34cm) 裏表 発行 志都岩屋神社景勝保存会
(所蔵:島根県立図書館)
瑞穂町誌 第1〜3集 瑞穂町誌編集委員会
(所蔵:邑智町立図書館、島根県立図書館 ほか )

志都岩屋神社 参道前駐車場 34.831466, 132.557627
志都の岩屋記念石碑     34.837897, 132.567649




二つの川の周囲に田畑のある平坦な土地がある

鏡岩(神体岩)

川の土手から畑、田んぼの順で向かいの山裾まで続く

コヨリの縁結び

頂上には木製の高さ2から3メートルの鳥居がある

古志都岩

斐伊川の土手から山に挟まれた形の下流を見る

行場岩