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雲社(くものやしろ)と呼ばれる社があった

くものやしろとよばれるやしろがあった 

見る知る出雲エリア平成時代

雲社とはロマンチックな社である。それは出雲国風土記に久牟社(くむのやしろ)とある神社で、出雲市斐川町の出西(しゅっさい)にある。神社の前の道路をはさんだ駐車場に車を停めて、道路に沿って流れる小川にかかった小さな太鼓橋を渡って境内に入る。橋を渡ると左右に門柱のように石碑が立っており、右には延喜式内社 久武神社、左には出西八幡宮と大きく彫られていて、二つの神社が共存しているようだ。


そこから境内に入るには、二つの鳥居を続けてくぐることになる。神社が二つあるからだろうか。境内には大きな新しい拝殿が建っており、その隣には、これも大きくて新しい本殿らしき建物があった。りっぱな社であり、これほどの遷宮をするための費用は相当なものであり地域の人々が大切にしていることが感じられた。
境内にあった神社略記を見ると、この大きな本殿は出西八幡宮で、目指す雲社=久牟社(くむのやしろ)=久武(くむ)神社は、拝殿の真後ろにあるようだ。拝殿を回り込むと、一直線に伸びて上っていく階段の上に小さく社が見える。出雲大社の本殿の高さが48メートルあった時代の再現模型で見た高い本殿に登っていく階(きざはし)のようである。まさに雲の上に行こうとする雰囲気に溢れている。祭神はスサノヲであるから、スサノヲが高天原から出雲に降って来た階段のようにも思える。
それを昇っていくと、高さ3〜4メートルほどの本殿が鎮座しており、こちらも遷宮されたのか、材木が真新しい。久武神社の位置する高台は広々としていて気持ちがよい。昇って来た階段の下をのぞくと、階段は70段あまりなのだが、はるか下に拝殿があるように見える。まさに雲の上という感じである。
さて、この久武神社は、鎮座地が変遷しており、この現在地が4番目の場所という。最初の場所は稲城(いなき)の森という、北西に400メートルほどなる所らしいので行ってみる。こんもりとした森の中に祠が祀ってあった。稲城明神と呼ばれているようだ。大きな石碑に云われがびっしり彫り込まれており、こちらも大切にされていることがわかる。そこには、

稲城明神  祭神 稲田姫命
八俣の大蛇を恐れる稲田姫を稲城にかくまい、出雲大川の天が淵にいた大蛇をたいじされた須佐之男命はこの里に帰られて稲田姫と結ばれた。西方二百米の弥山の麓から稲城の森の稲田姫へ妻問いされた須佐之男命が朝帰りなさる里、ということからこの里名がある。
出雲国賑給暦名帳(正倉院文書=七三九年)に出雲郡出雲郷朝妻里が記されているので、この神話伝承は古くからあったものといえる。
朝妻の里と須佐之男命

と刻まれていた。久武神社にあった解説板の神社略記は、スサノヲがオロチ退治してイナタヒメに会った時、その功績を祝うかのように多くの雲が立ち上り、二神をとりまいた。そこでスサノヲは「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と詠われたとあった。
先の石碑にあった弥山は、久武神社の2番目の鎮座地といわれている。この山には所有者に許可をもらって登ったことがある。山頂には小さな祠の跡や石造りの鳥居の部材と思える御影石があった。また、その山の麓には、剣御崎荒神が今も厳かに祀られていた。
3番目の鎮座地は、弥山からさらに西方200メートルあたりということだが、はっきりしていないということである。ただ、地元の人によると、現在の久武神社、稲城の森、弥山とその北の麓、そしてそこから200メートルほど西のあたりという場所は、昔から霧が良く立ち込める場所であり、雲の湧く場所という感じがするそうだ。
ここは、『出雲国風土記』にある出雲国出雲郡出雲郷であり、出雲郡も出雲郷も、その名の由来は国と同じだとある。出雲国の由来とは、それこそ『出雲国風土記』の冒頭にある「八束水臣津野命(やつかみづおみつののみこと)がおしゃったことは、八雲立つ出雲国は〜」と始まる、くにびき神話の部分。つまり出雲とは八雲立つまさにその場所のこと。そうした出雲の名の原点とも深く関わる場所と言えるだろう。
地元では、スサノヲの御子神である八束水臣津野命が立って、「くにびき」を考えた山ということで、おたて山(御立神山)と呼ばれていたようだ。現在は三本松山という標高がわずか168メートルの山である。ここは今、公園になっていて散策が楽しめるので、歩いてみたことがある。山からは眼下を流れる斐伊川が出雲平野に流れ出て、出雲北山に当たって、古代にはそこから西の日本海へ流れていた風景を余す所なく、眺めることができる。古代の人々もここから見たならば、斐伊川の運んだ砂で大地ができて三本松公園のある南山と出雲大社が麓に鎮座する出雲北山が陸続きになったことを如実に感じただろうことが容易に想像できる。この出雲国出雲郡出雲郷に残る伝説が出雲国風土記のくにびき神話、古事記の八雲立つ出雲や稲田姫を守った八重垣の神話などの元ネタとなっているのではないかとさえ思えてくる。
余談だが、久武神社のある出西(しゅっさい)地域には繊維質が少なくて柔らかく繊細な辛味の出西生姜と呼ばれ特産品がある。この天ぷらで食べたりできる希少な生姜は、スサノヲが体の弱かった稲田姫に贈った高天原からのお土産だったと伝わっている。

(ライター 三代隆司)



参考文献
出雲国風土記註論 著者 関 和彦 2006 発行所 明石書店
斐川の地名散歩  著者 池田敏雄 1987 発行者 斐川町役場

この 近隣の歴史を宿す社 に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を以下に示します。

久武神社       35.362412, 132.803266
稲城の森       35.364250, 132.807492
三本松公園      35.353801, 132.800542




長い階段の上にやしろが見える

久武神社

こんもとした森と奥に弥山が見える

中央が稲城の森、右後方に弥山

長方形の鳥居の横に渡す思われれる石材が地面に横たわっている

弥山山頂の鳥居の石材

奥に出雲大社のある出雲の北山、手前に斐伊川が流れている

三本松公園からの眺め