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雲州平田

うんしゅうひらた 

見る食べる出雲エリア不明

江戸時代から明治初期にかけて木綿市場を中心に栄えた平田の街。『雲州平田駅』からおよそ10分。「木綿街道」は当時の姿をいまに残す。
立ち並ぶ老舗は、そのほとんどが創業100年を超える。建物だけでなくその心意気も代々受け継いでいる。お酒、醤油、生姜糖など、伝統の味を堪能しながら、伝統の重みを五感で受け止める。


◎木綿街道
『雲州平田駅』から自転車で10分。市街をのんびりと走ると「木綿街道」に到着。
江戸時代の出雲は良質の綿作地帯。その「雲州木綿」を松江、遠くは大阪などへ出荷する市場町として栄えたのが平田の街だった。宿場町として重要な拠点だった面影を残す、およそ300メートルの通りを、『木綿街道』として今に残している。
その昔、平田と松江の間は船での交通が主だった。帆船や蒸気船が宍道湖の北側を行き交っていた。木綿はもちろんお米やお酒、醤油など、この辺りの産物を出荷するのも舟だった。“かけだし”と呼ばれる、通りと川をつなぐ建物のなかに開いた1本の通路が、その当時を偲ぶ。今も残る旧平田船川に、水田で利用されていた「平田舟」を運航する企画が持ち上がり、3月から12月に土日限定で運航する。

◎守られる老舗の味
木綿街道に立ち並ぶ江戸時代からの建物。それは建物だけではなく、そのなかで暮らす人やそれぞれの生業も時代を超えて守られている。
「日本酒には、日本人独特の技術の粋と杜氏の“意気込み”が詰め込まれています」と話してくれたのは『酒持田本店』さんの持田社長。1877(明治10)年創業で老舗の酒蔵である。熟練の出雲杜氏が丹精こめた銘酒は多くのファンの舌を喜ばせている。「すべてが手作りです。それゆえに、桶によって味が微妙に変わります。ほとんどわからない味の差ですけどね。それに気付くお客さんがいらっしゃるんですよ。その時は嬉しいですねぇ」と話してくれた。建物は典型的な出雲造り。2階の格子も独特の出雲格子になっている。瓦には主銘柄の「ヤマサン正宗」の印が入っている。酒蔵の中央からそびえ立つ煙突は、木綿街道の目印にもなっている。今はボイラーにその役目を譲ったものの、木綿街道全体のシンボルとして貴重な役割を果たしている。
「ソフトクリームと醤油ですかぁ?」と驚きを隠さなかったのがゆかりさん。『持田醤油店』さんでおすすめの珍味だ。自家製の醤油をなんとソフトクリームに混ぜ込むという荒技(?)に挑戦したが、それが大当たり。早速試したゆかりさんは「うん、醤油だ。美味しぃ」と大感激。ペロリと平らげた。手作り醤油のどっしりとした力強さが、ソフトクリームの甘さにうまく調和している。
続けてお邪魔したのが『来間屋生姜糖』さん。ゆかりさんは「生姜糖って何ですか?」と質問していたが、お店の試食品をボリボリ。「なるほどぉ」と納得のようす。ここは手作りの生姜糖を製造販売して約300年の伝統を持つ。現在のご主人がはじめたという「生姜湯」は、冷えた身体を芯から暖めてくれる。

◎「手作りのおもてなし」
「本石橋邸」は江戸時代、松江藩主が出雲大社参拝の途中立ち寄った御成屋敷として建てられた。明治時代には、島根県内初の郷校(現在でいう学校)として使われていた。隣の長崎邸は、歴代医師邸で1階は客間、2階は調合の間であった。現在は交流館として使われている。
このような説明はすべて地元の方がたから受けたもの。「本石橋邸」の現在のご主人やそれぞれの店主さんや職人さんたちが熱心にお話ししてくださる。脈々と受け継がれた自分たちの宝をていねいに話す姿は、聞いている僕たちの心に響きわたる。それぞれの商品もそうであるように、説明してくださる一言一句も“手作り”なのだ。
わずか300メートルの通りのなかに詰め込まれた平田の歴史、出雲の歴史。その話についつい引き込まれてしまい「電車の時間が…」と言いそびれた僕たちは、予定時間をとっくに過ぎていた。少し急いで『雲州平田駅』へとペダルを漕ぎ出した。




『雲州平田駅』

雲州平田駅

木綿街道は暖簾で迎えてくれる

木綿街道

遠くからでも見える煙突がシンボル

酒持田本店

船川に移る木綿街道の建物

船川