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古曽志古墳群

こそしこふんぐん 

見る知る松江エリア古墳時代

古曽志古墳群は、松江市の中心から国道431号を東へ車でおよそ10分、宍道湖北岸に広がる丘陵地帯の南側にある。住宅造成中に見つかったここの古墳群。整備された公園一帯には13の古墳ととほうもなく大きな実物大の模型がある。出雲国風土記では、国引きによって引っ張ってこられた側の国。そこを治めた王の一族が眠る古曽志古墳を巡る。


「古墳の丘古曽志公園」の駐車場から北側の階段を上っていくと、最初にあるのが姥ケ谷古墳群。三つの方墳が規則性をもって並んでいる。芝生で覆われているが、その大きさや形はしっかりと確認できる。さらに奥へと歩を勧めると、小さな古墳を発見する。それは、古曽志大谷四号墳の原寸大の模型である。

少し開けた場所へ出ると、なにやら埴輪が並んだ、でっかい全長46メートルの古墳が目の前に現れる。古曽志大谷一号墳の復元された実物大模型である。古曽志古墳が発見されたのは、宅地造成中のときのこと。突如(とつじょ)として住宅予定地のほぼ真ん中に現れた大型の前方後方墳は、当時の歴史研究者や市民を驚かせたものだったという。現在は、発見された場所からおよそ500メートル南東に造られたこの公園内に復元され、築造当時の姿が再現されている。

古墳全体を覆(おお)っている石は葺石(ふきいし)と呼ばれ、古墳の斜面が崩れないように規則的に並べられている。また、二段になっているそのテラスには、埴輪が規則的に立て並べられている。その景色は整然として美しい。古代の人々にはこうした美的感覚があったのかもしれない。最上部からの宍道湖の眺め四季折々に美しいことだろう。そうした景色を死者にも見せたかったのだろうと思える。古墳の大きさから、狭田(さだ)の国の王一族が眠っていたのではないかとも考えられる。まわりにも大きな円墳や数々の方墳が見つかっている。珍しく三つ並んだ方墳の姥ヶ谷(うばがだに)古墳群もそうだ。公園内には宍道湖や中海の成り立ちなどが丁寧に説明されていて、これを見て回るのも楽しい。

古曽志大塚古墳群へは「46億年の橋」を渡り移動。地球が産まれてから現代までの成り立ちを見ながら、橋を渡る。すべて、比較的狭い範囲に古墳が集まっている。案内がないと通り過ぎてしまうぐらい小さな古曽志平廻田(こそしひらさこた)遺跡。その奥へと歩を進めると、なんとなく左へ曲がりながら道が続く。雑木林を左に見ながら、円弧(えんこ)を半周もした辺りに小さな東屋(あずまや)と案内板がある。それまで歩いていたのが古曽志大谷一号墳の外周だとわかる。大谷一号墳より古い五世紀初頃に築かれた円墳は高さ6メートル、上下二段の構造になっている。

大小の古墳がひしめく古曽志の古墳群。大きな古墳を囲んで小さな古墳が点在するその状況は、当時の家族の結束力が強かったのではないかと想像させる。




古曽志大谷一号墳(復元模型)

再現された古曽志大谷一号墳

二万年前は広大な谷だった宍道湖

二万年前は広大な谷だったという宍道湖

大谷一号墳のあった場所は住宅地に

大谷一号墳のあった場所は住宅地に

古曽志姥ケ谷古墳群は三つの方墳

三つ並んだ方墳の姥ケ谷古墳群